「源氏物語」研究の第一人者 池田 亀鑑(日南町生まれ)

古典文学研究の基き礎そ築きずく

 「源氏物語(げんじものがたり)」研究の第一人者といわれ、古典文学研究の基礎(きそ)を築(きず)いた国文学者の池田亀鑑(いけだきかん)(1896~1956年)は、現在(げんざい)の鳥取県日南(にちなん)町で両親が小学校教員の家庭に生まれました。

 亀鑑は鳥取県師範(しはん)学校(現・鳥取大学)を卒業後、1916(大正5)年から2年間、伯耆(ほうき)町の溝口(みぞくち)尋常(じんじょう)高等小学校(現・溝口小学校)教諭(きょうゆ)を務(つと)めます。

 23(大正12)年、27歳(さい)で東京帝国(ていこく)大学(現・東京大学)に入学し在学中、さまざまなペンネームで少年少女小説や婦(ふ)人(じん)小説を執筆(しっぴつ)し、生活費を稼(かせ)ぎます。26(同15)年、30歳で卒業後は会社勤(づと)めをしながら古典文学の研究を続け、やがて東京大学や慶応義塾(けいおうぎじゅく)大学、早(わ)稲(せ)田(だ)大学などで教壇(きょうだん)に立ちます。研究は「源氏物語」のほかに「土佐(とさ)日記」「伊勢(いせ)物語」「枕草子(まくらのそうし)」「紫式部(むらさきしきぶ)日記」など多岐(たき)にわたりました。

 専門(せんもん)書の著作(ちょさく)は80冊(さつ)、研究論文(ろんぶん)、随筆(ずいひつ)などの著作は800冊にものぼります。「源氏物語」の本文資(し)料(りょう)を整理した代表作で、誰(だれ)も成し遂(と)げられなかった偉(い)業(ぎょう)といわれる「源氏物語大成(たいせい)」全8巻(かん)を完成させた2週間後、病気によって60歳で亡(な)くなります。

 溝口尋常高等小学校教諭時代の教え子に、奥(おく)出(いず)雲(も)を舞(ぶ)台(たい)にした小説「絶唱(ぜっしょう)」の作者で知られる小説家の大(おお)江(え)賢(けん)次(じ)(1905~87年)がいました。「絶唱」は幾(いく)たびか映(えい)画(が)化、テレビドラマ化されています。

 大江は、亀鑑の指(し)導(どう)ぶりを「(後年)わが国屈(くっ)指(し)の国文学者は(中略(ちゅうりゃく))その子の才(さい)能(のう)を伸(の)ばすことによって自信を与(あた)え…」(自(じ)伝(でん)「望郷(ぼうきょう)」より)と「自発創造(そうぞう)」を重んじた教育であったと指(し)摘(てき)しています。

 亀鑑は、NHKラジオの古典文学講(こう)座(ざ)で「枕草子」や「源氏物語」の講(こう)義(ぎ)もしました。

 1960(昭和35)年には、教え子たちによって「池田亀鑑先生学(がく)恩(おん)碑(ひ)」が、溝口尋常高等小学校跡(あと)(現在の伯耆町役場溝口分庁舎(ぶんちょうしゃ)横)に、また68(同43)年には生(せい)誕(たん)地に近い石(いわ)見(み)東(ひがし)小学校(2009年に廃校(はいこう))に文学碑が建立(こんりゅう)されました。

 文学碑には「学才(学問の才能)にあらず 閥(ばつ)派(は)(利(り)害(がい)などで結びつく小集団(しゅうだん))にあらず たゞ至(し)誠(せい)(きわめて誠実なこと)にあり」の言葉が刻(きざ)まれました。

 業績(ぎょうせき)に比(くら)べて昇進(しょうしん)が遅(おそ)く、悔(くや)しい思いをして59歳で東京大学教授(きょうじゅ)になった亀鑑の信念が込(こ)められています。

 さらに、日南町と文学碑を守る会が没(ぼつ)後(ご)55年の2011(平成23)年に第1回池田亀鑑賞を創設(そうせつ)。全国の古典文学の研究などから毎年、優(すぐ)れた作品を選び、賞を贈呈(ぞうてい)。町総(そう)合(ごう)文化センターで授賞(じゅしょう)式や受賞者の記念講演(こうえん)会などを行っています。

2019年3月20日 無断転載禁止

こども新聞