世事抄録 「100歳の戸惑い」

 1月、鹿児島にいる義母が100歳になった。苦労や我慢も多かったろうに、これまで愚痴一つ聞いたことがない。凛(りん)とした心の優しい人である。年相応の衰えはあるが、毎朝鏡台に向かって身なりを整え、新聞に目を通す。大正、昭和、平成と生き抜き、新時代を待つ見事な百寿だ。

 お祝いムードの残る2月、義母と同居する義弟が腰痛でダウンした。緊急措置でショートステイに預けられた義母は、長女である妻に毎日、施設から電話をかけてきた。「ここは自分のいるところではない」。充電が切れるまで100歳の切実な訴えは続いた。

 見守りがあれば家で暮らせるのに、このまま施設入所させるのは忍びなく、ピンチヒッターとして鹿児島へ向かった。着いてみると、国と市から贈られた百寿をたたえる額の下、義母が還暦過ぎの息子をいたわっていた。

 老齢の子どもたちで相談した結果、義母には福岡の次女宅で暮らしてもらうことになった。「腰が治ったら必ず迎えに行くから」と説得し、私と妻で送っていった。

 義母は車の助手席で7時間、居眠りもしなかった。後の不安を感じながらの眺望だったろう。福岡を離れる時、気丈な義母は戸惑いも見せず、笑顔で見送ってくれた。心情を思うと切ない。妻は「これでよかったのだろうか」とつぶやいた。

 (浜田市・清造)

2019年4月11日 無断転載禁止