世事抄録 5月15日の沖縄

 5月15日が近づくと熱い思いがこみ上がる。復帰か処分か、私はまだ決めかねている。

 1972年の「返還」のこの日、沖縄の友人に連れられ琉球から来た人たちが住む町に行った。初めての泡盛や三線(さんしん)。勧められるままに飲み踊る。突然胸ぐらをつかまれた。思想の浅さを吐露したのだろう。あるいは「ヤマトンチュウ」の無知を露呈したかもしれない。「おまえらに分かるか」。おまえではなく、お前らが突き刺さった。

 沖縄に向かった。車は右側を走り、国際通りは米兵に蹂躙(じゅうりん)されていた。嘉手納基地の前で、身勝手な沖縄観に思考が停止する。青臭い哲学徒、陳腐なヒューマニストに、沖縄とは何か、沖縄をどうするかなど考えられず、ただなぜ来たかを反芻(はんすう)するだけだった。

 五十年弱、仕事や旅で何度も行き、沖縄戦や戦後史を聞き関係を創り認識をあらためた。通りからカーキ色は消え、華やいだリズムと亜熱帯の色が舞う。時代は、対立だけでなく、協調を必要とした。しかし、基地は存続し、暴力は振るわれる。

 政治や経済を論じる吾人には非生産的な情緒論と失笑されるだろう。だが20歳の私の胸ぐらを、旋盤で指を欠損した手でつかみ怒鳴った「おまえらに分かるか」。それが、経験や知識を積んでも変わらない私の沖縄である。この日が来ると72年の灼熱(しゃくねつ)の沖縄が知性と感性に突き刺さる。

(埼玉県在住、島根県奥出雲町出身・鬼灯)

2019年5月9日 無断転載禁止