「東京五輪音頭」を作詞 宮田 隆(松江市ゆかり)

平和願い祭典盛もり上げ

 1964(昭和39)年、アジア初のオリンピック「東京五輪」で流れたテーマソング「東京五輪音(おん)頭(ど)」が、戦後最大のイベントを盛(も)り上げました。当時の誰(だれ)もが口ずさんだことのある ♫ハアー あの日ローマで ながめた月が…♬ の軽(けい)快(かい)な曲です。その作(さく)詞(し)を手(て)掛(が)けたのが、松(まつ)江(え)市ゆかりの作詞家の宮(みや)田(た)隆(たかし)(1913~82年)です。

 隆は、島根県海(あ)士(ま)町に生まれます。教員の父が赴(ふ)任(にん)した西郷(さいごう)町(現(げん)隠(お)岐(き)の島(しま)町)で入学した西郷小学校で3年の時、詩が当時の文部省の児童詩選集に掲載(けいさい)されました。詩の才能(さいのう)を示(しめ)すエピソードです。

 島根師(し)範(はん)学校(現島根大学)に入学しますが、病気になり中(ちゅう)退(たい)。その後、現在(げんざい)の県立隠岐水産高校を卒業して兵(ひょう)庫(ご)県(けん)庁(ちょう)に勤(つと)めました。

 1932(昭和7)年、玉(たま)造(つくり)温(おん)泉(せん)(松江市玉(たま)湯(ゆ)町)が募(ぼ)集(しゅう)した新民謡(みんよう)の歌詞が一等入選。「玉造小(こ)唄(うた)」がレコード会社から発売され、本格(ほんかく)的な作詞家としての第一歩を踏(ふ)み出しました。太平洋戦争から復員(ふくいん)後は島根県庁に入り公(こう)職(しょく)を務(つと)めるとともに、作詞活動に力を入れます。

 1962(昭和37)年、東京五輪のために募集された「東京五輪音頭」に応(おう)募(ぼ)し、2千にものぼる作品の中から見事、1等入選します。

 戦争や捕(ほ)虜(りょ)となった体験から、歌詞に平和の祭典への願いを込(こ)めました。また、東京五輪の歓迎(かんげい)ムードを盛り上げようと、世界からの訪問(ほうもん)者を心待ちにする詞にしました。作曲は日本作曲家協会会長(当時)の古(こ)賀(が)政(まさ)男(お)が担当(たんとう)。人気歌手の三(み)波(なみ)春(はる)夫(お)、三(み)橋(はし)美(み)智(ち)也(や)、橋(はし)幸(ゆき)夫(お)、北(きた)島三郎(じまさぶろう)、坂本(さかもと)九(きゅう)らが競(きそ)って歌いました。

 著作権(ちょさくけん)を持つNHKが使用を解(かい)禁(きん)したことから、レコード各社の競争となります。特に、三波春夫が歌った「東京五輪音頭」が130万枚(まい)を売り上げました。累計(るいけい)では300万枚のヒットになります。

 生(しょう)涯(がい)で、レコード曲やCMソング、市町村歌、県立隠岐高校、雲南(うんなん)市立海(う)潮(しお)中学校、松江市立古(こ)志(し)原(ばら)、出(いず)雲(も)市立北(ほく)陽(よう)両小学校の校歌など310曲の詞を制作(せいさく)。また、文学仲間と「山陰(さんいん)詩人クラブ」をつくり、「山陰詩人」を発行したり、放送劇(げき)、随筆(ずいひつ)、シナリオを手掛けるなど、多(た)彩(さい)に活(かつ)躍(やく)しました。

 1966(昭和41)年には集大成の歌(か)謡(よう)集「ふるさとに歌う」を出(しゅっ)版(ぱん)します。

 56年ぶりに開かれる2020(令(れい)和(わ)2)年の東京五輪を控(ひか)え、組(そ)織(しき)委員会が17(平成29)年、「東京五輪音頭」にパラリンピックを盛り込むなど一部修(しゅう)正(せい)した「東京五輪音頭2020」を公式ソングとして発表しました。

2019年11月6日 無断転載禁止

こども新聞