マスメディアとネットニュース~自ら招いた危機~/ニュース選択 世論二極化招く

京都大学公共政策大学院名誉フェロー 佐伯 英隆

 ここ10年ばかり、新聞にせよテレビにせよ、個々のメディア企業ごとの政治的な主張や立場が、紙面や番組の作り方により露骨に表現されるようになって来たと感じる。少し前までは、多少なりとも政治的中立性の「仮面」か「お化粧」くらいはしていたように思うが、今やそういった「たが」が外れ、それぞれの政治的な傾斜をより先鋭化させている。

 結果的に、読者や視聴者は、マスメディアの報道とは「そういうモノだ」と認識するようになった。それならば、という事で、自分の政治的な性向に合ったような記事を載せているメディアを選択し、自分の気に入った記事しか読まなくなり、また、そういう記事しか読まない事で、右にせよ左にせよ、読者自身も次第にその立場が先鋭化して、お互いに「ネトウヨ」「パヨク」とののしり合う。同時に、読者や視聴者は、新聞紙という紙媒体やテレビの画面を離れ、より選択の自由度と幅が広いネットという世界に不可逆的に移行していっている。

 新聞の購読者数は徐々に、しかし確実に減っている。「テレビ離れ」も深く静かに進行中である。このような一連の「危機」に関し、筆者は失礼ながら、マスメディアを担う人々に対する同情心はない。なぜなら、その原因の半分は、技術の発展に伴う自然な「世の流れ」であり、残りの半分は、そのような方向にかじを切った彼ら自身の選択の結果だからである。

 出来事の事実だけを羅列したのでは記事にならない。その事の意味や背景といった「補強材」を使って一種の「構築物」を作って、初めて記事が成立するのだ、とは昔から言われてきた「記者の心得」の第一歩との事。そのプロセスで、記事を書く人の個人的な信条や見解を全く排除する事は不可能だ。そもそも、どの事実を採り上げるのかから始まって、背景説明や見通しに至るまで、記者の主観的要素の影響は避けられない。これはテレビの報道番組の構成でも、そのまま当てはまる。

 同時に、多くの読者や視聴者を長期にわたって引き付け、影響力を保ち続ける為には、主観的要素を可能な限り排除して、中立的な「外観」の維持を心掛けるべきだが、世論を「正しい方向に誘導する」のが、ジャーナリストの使命とばかりに、記事や報道に「角度」を付け、主観的な感想を述べ、何をニュースとするかを決める自由、言い換えれば「報道しない自由」を駆使しまくった結果、「マス」メディアである事を自ら放棄してしまったように思える。

 では、ネットによるニュースの取得で問題はないかというと、そういう訳にも行かない。ネット空間には、記事の占める場所、面積や活字の大きさで通常表現される「重要度の指標」がない。何が重要と考えるかは読者に任されているので、各自が重要と考える事項だけをクリックして追いかける結果、世論は両極端化し、かつ先鋭化して行く。

 また、ネットのニュース欄に、そもそもどの事項をニュースとして掲載するかの選択が極めて重要になってくる。例えば、あるネット配信事業者のニュース欄は、一時、特定の極端な政治的主張をする事で知られているタブロイド紙の記事を頻繁に掲載していたが、このような決定を、誰が、どのようなプロセスで行っているのだろうか。

 今日、実際に世論形成に最も力を持っている人は、大手新聞社の論説委員でも、テレビのワイドショーのメインキャスターでもなく、ネットニュースの管理者、より具体的に言えば、「何をネットニュースに掲載するかを決める人」であろう。その人は名前も分からず、目に見えず、それ故、批判を受ける事もない。

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 さえき・ひでたか 大阪府出身。東京大法学部卒、ハーバード大J・Fケネディ行政大学院修了。1974年、通産省(現経産省)に入省。在ジュネーブ日本政府代表部参事官、島根県警本部長、通商政策局審議官などを経て2004年に退官。15年3月まで京都大公共政策大学院特別教授。イリス経済研究所代表などを務める。

2019年12月9日 無断転載禁止