世事抄録 思い出と橋を渡る

 薄れる思い出が多くなった。要らぬことはいいが、小学生の時に広島平和資料館で感じた気持ちや3・11の体験、友からの貴重な助言や行為は忘れたくない。ところが忘却とは無意識のうちに進む。

 30年ほど前から毎年春に、高校の同級生が集まる飲み会がある。私も10年ほど前から参加している。昨年の会の帰り、世話役の彼と2人になった。橋の上で突然、彼は風を噛むように高校時代の家庭事情や今の生活を断片的につぶやき「映画のこと覚えているか」と振った。高校3年生の時、映画に誘われ、下宿生活に無駄な金はなく、むげに断ったことがよみがえった。わびも含め「飲むか」と誘った。君は「古希の会で聞く」と背を向け「あのとき聞きたいことがあった」と言った。何なのか、なぜ今さらそんな話をしたのか、彼から聞くことはできない。

 忘れることは自然なことだ。でも特定の記憶だけは忘れない方法がほしいものだ。そんなヒントを彼は残してくれた。彼は会の受付でいつも「頑張っちょうか」と声を掛けてくれた。思うに、彼にとって会は新しいことも含め記憶を想像し直す時間と空間だったのかもしれない。定期的に知性と感性で皆や思い出を想像し直すことで、記憶は原型を留(とど)めたまま深まっていく。橋の上でのことも思い出話ではなく、個性の薄れた私に、あの時代を想像し直せと言いたかったのかもしれない。

(埼玉県在住、島根県奥出雲町出身・鬼灯)

2020年7月30日 無断転載禁止