「カウラ事件」の悲劇

 2年前、大田市三瓶町に石見ワイナリーを開業した山陽空調工業(広島市)。その先代社長で創業者でもある、島根県津和野町出身の浅田四郎さんに出会ったのは広島に赴任した20年前。華奢(きゃしゃ)な体に似合わず声は大きく、仕事も酒も豪快だった▼ある日「聞いてほしいことがある」と呼び出すと、終戦前年の1944年8月、オーストラリア・カウラで捕虜生活を送っていた元日本兵が、死ぬための脱走を試みた「カウラ事件」の体験を語り始めた▼東条英機が陸相時代に通達した「生きて虜囚の辱めを受けず」という戦陣訓を守り、千人に及ぶ日本兵捕虜が自ら命を絶つために決行した集団脱走。オーストラリア軍の機関銃の前に負傷者550人、死者は自殺者を含め231人に上った。「参加できない」と自害した仲間を葬るため、わずかに遅れて飛び出したことで九死に一生を得た浅田さん。生き残った仲間や遺族を広島に呼んで慰霊祭を開く傍ら、戦争の悲惨さを学生に語り継いでいた▼出会って2年後、浅田さんは82歳で他界した。亡くなる6日前に病床を訪ねると、荒い息遣いで言葉もほとんど聞き取れなかったが、別れ際にはっきりした口調に戻り、「カウラのことは伝えていかんと」と、いつもの笑みを浮かべた▼カウラ事件からきのうで76年、そしてきょう、広島に原爆が投下されて75年の節目を迎える。戦争の悲劇を忘れてはならない。(健)

2020年8月6日 無断転載禁止