がん研究、大きな功績 中原 和郎(湯梨浜町生まれ)

中原 和郎
国立がんセンターの基礎築く

 大正から昭和にかけて、がん研究に一生を捧(ささ)げた医学者、生化学者の中原(なかはら)和(わ)郎(ろう)(1896~1976年)は、現(げん)在(ざい)の鳥取県湯(ゆ)梨(り)浜(はま)町(ちょう)に生まれました。日本のがん制圧(せいあつ)拠(きょ)点(てん)の国立がんセンターの基(き)礎(そ)を築(きず)くなど、大きな功績(こうせき)を残しています。

 湯梨浜町は鳥取県中部の日本海に面しており、和郎が生まれた羽(は)合(わい)町(ちょう)と、泊(とまり)村(そん)、東(とう)郷(ごう)町(ちょう)が合併(がっぺい)して2004(平成16)年に誕(たん)生(じょう)しました。

 日本で初めての食品冷蔵(れいぞう)事業家の家庭で育った和郎は、父親の事業のために米(よな)子(ご)などを経(へ)て東京に転居(てんきょ)し、私(し)立(りつ)の中学校に入学。在学(ざいがく)中、チョウの収(しゅう)集(しゅう)と研究に熱中し、昆(こん)虫(ちゅう)学を学ぶため1914(大正3)年、米国のコーネル大学生物学科に入学します。

日本昆虫学会創立40周年記念「世界の昆虫展」で、昭和天皇に標本のチョウの説明をする中原和郎=1957年10月、東京・日本橋
 昆虫の細胞(さいぼう)学の研究論文(ろんぶん)が偶(ぐう)然(ぜん)、ロックフェラー医学研究所(現ロックフェラー大学)でがん細胞の分裂(ぶんれつ)を研究している博士(はかせ)の目にとまり、大学を卒業した1918(大正7)年、推(すい)薦(せん)を受けて研究所に助手として就職(しゅうしょく)。医学を修(おさ)めていない和郎が思いがけず終(しゅう)生(せい)、がん研究に取り組むきっかけになりました。研究所で、細菌(さいきん)学の優(すぐ)れた業(ぎょう)績(せき)をあげていた野(の)口(ぐち)英(ひで)世(よ)博士と知り合う縁(えん)に恵(めぐ)まれます。

 1925(大正14)年、帰国し東京大学伝(でん)染(せん)病(びょう)研究所(現東京大学医科学研究所)や理(り)化(か)学(がく)研究所(本所・埼玉(さいたま)県和(わ)光(こう)市)などでも、がん研究を続けました。

 国が1962(昭和37)年、東京にがん対策(たいさく)の中央医(い)療(りょう)機関「国立がんセンター研究所」を設立(せつりつ)すると、和郎は初代所長に任命(にんめい)され組(そ)織(しき)の立ち上げに力を尽(つ)くします。74(同49)年、センター総(そう)長(ちょう)に昇(しょう)格(かく)し、2年後に亡(な)くなるまで務(つと)めました。

 「疑(うたが)って疑って…疑う余(よ)地(ち)のないところに真(しん)理(り)があり、疑うことが学問の第一歩である」と研究姿(し)勢(せい)を述(の)べています。「研究は人なり」の信念で、大学の派(は)閥(ばつ)に関係なく若(わか)くて能(のう)力(りょく)の高い人材を集め、がんの幅(はば)広い基礎研究に力を入れました。

 ロックフェラー医学研究所に同期入所し結婚(けっこん)したドロシー夫人とともに、外国産チョウ収集の草分け、日本産チョウの分類研究者としても知られています。晩年(ばんねん)には自身のコレクションを国立科学博物館(東京)に寄(き)贈(ぞう)しました。

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 写真はいずれも湯梨浜町の西(さい)蓮(れん)寺(じ)所(しょ)蔵(ぞう)。

中原和郎の歩み

2020年9月16日 無断転載禁止

こども新聞