松江城再発見 ~天守・城郭・城下町~

  • ライトアップされた夕暮れ時の松江城=写真はいずれも松江市殿町

    <18>城下町見下ろす望楼

     松江城天守の最上階に上がると、真下に広がる城下町をはじめ、宍道湖や枕木山、遠くは大山、中国山地まで、360度を見渡すことができる。壁がなく、総窓で四方を展望できる、こうした最上階は「望楼式」と呼ばれ (2011/03/21) [全文]

  • 江戸時代、城内に時刻を知らせていた「刻の太鼓」=松江市殿町、松江城

    <17>城下に時知らせた太鼓

     「刻(とき)の太鼓」。松江城の天守には、そう名付けられた太鼓がある。渦巻きのような「巴(ともえ)」の模様が描かれた面の直径は110センチ、胴の幅は95センチ。城内に時刻を知らせるために打たれていたと (2011/03/07) [全文]

  • 松江城天守にかつて飾られていた古い鬼瓦。松江城の鬼瓦は角のない個性的な面相が特徴という=写真はいずれも松江市殿町、松江城

    <16>角のない個性的な鬼瓦

     鬼瓦は魔よけとして屋根の棟の端に飾られる。松江城天守の鬼瓦は、鬼というわりには、どこかユーモラスだ。つり上がった目に、広がった鼻、裂けた口…。鬼の条件を満たしているようで、さほど怖くないのは、角らし (2011/02/21) [全文]

  • 古色を帯びた、松江城天守1階の桐の階段。桐製は松江城独自のもの=松江市殿町

    <15>撤去容易天守は桐階段

     松江城天守の階段は、桐(きり)の木でできている。桐の階段があるのは全国の城で、松江城だけ。いざというとき、すぐに撤去して敵の侵入を防ぐために、軽い桐を使ったとされる。松江城に顕著な、実戦を意識した構 (2011/01/31) [全文]

  • 米原雲海が制作した「松平直政初陣図銅像」。島根県庁前に復元された直政銅像の原型となった=松江市殿町、松江城

    <14>2体の直政初陣騎馬像

     松江城の天守に「松平直政初陣図銅像」と名付けられた2体の像が並べて展示されている。松江松平藩の初代藩主である直政14歳の初陣の騎馬像で、作者も違えば、造形も対照的な大正時代の作品。天守を訪れた人は必 (2011/01/17) [全文]

  • 松江城天守にある井戸。自然石積みの井戸の底には現在、水はなく、いつ、誰が始めたのか、投げ入れられた硬貨がたまっている=松江市殿町

    <13>天守の井戸は全国唯一

     松江城の天守の中に井戸が1基ある。戦になって籠城したときに備え、飲料水を確保するために造られた。城郭内に井戸がある城は多いが、天守内部にあるのは、現存する全国12天守で唯一。東西の勢力が対立する時代 (2010/12/20) [全文]

  • 松平直政の時代に竹内右兵衛(有兵衛とも記す)が作ったとされる「松江城天守雛形」。天守の内部構造が分かる=松江市殿町、松江城

    <12>天守の骨組み示す雛形

     松江城の天守に展示されている「松江城天守雛形(ひながた)」は、寛永年間(1624~44年)に作られた木組みの模型だ。高さ3尺3寸5分(約1メートル)で、実物のおよそ30分の1の大きさ。城の大工頭だっ (2010/11/29) [全文]

  • 松江城天守の最上層に飾られた鯱鉾。全国の現存12天守の鯱鉾の中で最も大きい=松江市殿町

    <11>現存天守で最大の鯱鉾

     松江城天守の最上層の屋根には、尾を天に向け、体を反り返らせて向き合う一対の鯱鉾(しゃちほこ)がある。正面に向かって左側が雄で、右側が雌。雌雄は微妙に違っていて、雄のほうがうろこが粗い。高さは2・08 (2010/11/08) [全文]

  • 天守に飾られている安達不伝さんの日本画。堀尾吉晴による城地選定の場面を描いた作品(左)など松江藩の主なエピソードを伝える=松江市殿町、松江城

    <10>藩の歴史描いた障壁画

     松江城天守の2階には、松江藩の主な出来事を描いた20枚の日本画がある。城を訪れる人に半世紀以上、親しまれているこの障壁画の作者は、安達不伝(ふでん、1911~81年)さん。戦後の松江で美術の振興に尽 (2010/10/25) [全文]

  • 「藩政の中心」だった二ノ丸。御広間などの建物跡が平面整備されている=松江市殿町、松江城

    <9>藩政の中心だった二ノ丸

     松江城の二ノ丸は、天守のある本丸に次ぐ重要な曲輪(くるわ=区画)で、築城した堀尾家、続く京極家、その後を継いだ松平家の2代藩主綱隆(在任1666~75年)の時代まで、藩主はここに住んだ。 (2010/10/12) [全文]

  • 城下町・松江に点在する鉤型路。夜間に近くのビルから見下ろすと、街灯に照らされた変則十字路と自動車の光跡が、幻想的に浮かび上がった=松江市寺町(30秒間露光)

    <8>敵軍欺く「鉤型」の道

     松江城周辺の市街地に見られる「鉤(かぎ)型路」は、交差する2本の道路の一方を意図的にずらし、屈折させている。この変則十字路は築城とともに造られ、市街戦を想定して防衛のため計画的に配置された。松江が城 (2010/09/27) [全文]

  • ライトアップされ、夜の闇に浮かび上がる南櫓(左)と中櫓=松江市殿町、松江城

    <7>往時の姿醸し出す櫓群

     松江城の二ノ丸にある3棟の櫓(やぐら)は、古写真や遺構を手掛かりに、江戸時代の姿を忠実に再現している。松江市が2001年、櫓をつなぐ塀とともに史跡整備の一環として復元した。後方にそびえる天守を守るよ (2010/08/30) [全文]

  • 子どもの背丈ほどもある巨石がはめ込まれた一ノ門手前の石垣=松江市殿町、松江城

    <6>巨石や家紋が権力誇示

     松江城(松江市殿町)には、築城した堀尾吉晴が意図的に配したと考えられる「見せる石垣」がある。目立つ巨石を使用したり、家紋を刻印したりしていて、城主の力を印象付けることを狙ったようだ。 (2010/08/02) [全文]

  • 西ノ門跡近くの石垣。「野面積み」の手法だが、岡崎雄二郎顧問によると、自然石ではなく割石を積み上げた「割石積み」という=松江市殿町

    <5>修復重ねた多様な石垣

     城郭の石垣は、一般に「野面(のづら)積み」「打ち込み接(は)ぎ」「切り込み接ぎ」の3種に大別される。石の加工度合いが違い、戦国末期から近世初頭にかけて変化してきた。 (2010/07/19) [全文]

  • 水面(みなも)に松江城山の緑を映す堀川。遊覧船が宇賀橋にさしかかり、水都ならではの叙情が漂う=松江市北堀町の北堀橋から撮影

    <4>防御の堀が水都の顔に

     城郭と防御施設としての堀は、言うまでもなく切っても切れない関係にある。 (2010/06/28) [全文]

  • 陽光を浴びる松江城の石段。上りきると三ノ門跡に至る=写真はすべて松江市殿町

    <3>実戦意識した石段配置

     城は戦に備えた建築物である。松江城(松江市殿町)も例外ではなく、実戦を意識した構造や仕掛けが随所に見られる。防御より通路の機能が大切に思える石段にも、巧妙な工夫が凝らされた。 (2010/05/31) [全文]

  • 松江城天守の「寄木柱」。現存最古の集成材の柱として価値が高い=松江市殿町

    <2>輝く現存最古の寄木柱

     松江城(松江市殿町)の天守には「寄木(よせぎ)柱」と呼ばれる柱が多数ある。芯になる柱材を複数の厚い板で覆った、集成材の柱だ。7寸(約21センチ)角の松材を厚板で四方から包んで、1尺(約30センチ)角 (2010/05/03) [全文]

  • 華麗に咲き誇る桜に彩られた松江城天守。文化財であると同時に、松江のシンボルとして市民に愛され親しまれる存在だ=松江市殿町

    <1>唯一の正統天守国宝に

     松江開府400年祭(2007~11年)を機に官民を挙げて始まった、松江城(松江市殿町)の国宝指定を目指す動きが、熱を帯びている。この機会に、松江城の価値や、築城とともに形成された城下町の痕跡に目を向 (2010/04/05) [全文]

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