岡本甚左衛門が築いた堤の上から、ため池を眺めるウオーキング大会の参加者=浜田市金城町七条
岡本甚左衛門が築いた堤の上から、ため池を眺めるウオーキング大会の参加者=浜田市金城町七条

 江戸後期に浜田市金城町七条の新開地区の開拓に尽くした岡本甚左衛門(1774~1842年)の功績を伝える記念イベントがこのほど、現地であった。住民約130人が、今も地区の田畑を潤すため池などゆかりの地を巡りながら、私財を投じて地域を豊かにした先人に思いをはせた。
 甚左衛門は、年貢の納入役や戸籍事務を担った庄屋の生まれ。地域を豊かにし、浜田藩の財政を助けようと1819年、藩の許可を得て、七条原と呼ばれる標高230メートルほどの高台の開拓に乗り出した。水の確保が難しく、耕作には非常に不向きな荒地だったところに私費で人足を確保し、複数の堤を築いた。
 飢饉(ききん)や資金不足に加え、42年に甚左衛門が亡くなるなど多くの困難に見舞われたが、子孫や住民が遺志を継ぎ、明治期の73年には約17ヘクタールが開墾されたという。
 23日に「開拓200年記念」と銘打つ式典が、みどりかいかん(浜田市金城町下来原)であり、市教育委員会の小松真人学芸員(29)が講演した。古文書の記録から、甚左衛門が開拓に乗り出した背景の一つに、かつて藩が困窮した村の要望に応じ、年貢のもとになる石高を減らす措置を取った出来事があると分析。「恩義に報いようとした」と紹介した。
 長年ボランティアガイドを務める横田芳武さん(90)=浜田市金城町七条=と畑智さん(88)=同=への感謝状贈呈、金城中学校生徒による和太鼓演奏、甚左衛門の功績を題材にした地元ミュージシャンの創作曲披露もあった。式典の前には堤や墓所など計6・5キロを巡るウオーキング大会があった。
 記念事業は開拓着手から100、150年の節目にも催された。今回は新型コロナウイルス感染拡大で、当初予定より1年半遅れの開催になった。実行委員会の原田俊治委員長(62)は「地域の歴史を伝えることを今後のまちづくりにも生かしたい。250年記念事業は、きょう参加した中学生たちがやってくれるかな」と笑顔を見せた。
 (勝部浩文)