春夏の甲子園で島根県勢の最高成績はベスト4。隣の鳥取県勢は1960年春の選抜で米子東が準優勝に輝いたが、島根の高校で決勝進出を果たしたチームはない。全国大会の決勝進出という快挙を、ひと足早く中学校でやってのけた球児たちが今年、最終学年を迎えた。「コータの野球ざんまい」第5回は、頂点をつかみかけた少年たちの「その後」のドラマを追う。

「世代屈指」擁すチームと日本一かけ
 今からさかのぼること3年、島根県の公立中学校が「日本一」に、あと一歩のところまで迫った。
 2018年春、静岡県で開催された中学軟式野球の全国大会「第9回全日本少年春季軟式野球大会」(通称・全日本少年)で、大田市立第二中(以下、大田二中)が、星稜中(石川)、海星中(三重)、仙台育英秀光中(宮城)、氷見市立北部中(富山)を下して決勝進出。しばしば甲子園に出場する強豪私立高校の付属中3校を立て続けに撃破して、全国制覇に王手をかけた。

全日本少年春季軟式野球大会で準優勝した大田二中ナイン

 当時大田二中を率いていた柿田勝洋(49、現・津和野中監督)が、当時を振り返る。

 「選手個々の能力は、間違いなく対戦相手の方が上でした。選手たちが毎日の練習から育んできたチームワークでたどり着いた決勝だったと今でも思います」

 決勝の相手は、当時から「世代屈指の剛腕」と評判だった森木大智(現・高知)を擁する高知中だった。決勝では、森木は「2番・遊撃手」でスタメン出場。登板はなかったが、その後の中3夏に軟式球で150キロを記録し、全国のマスコミで「怪物中学生」と騒がれた逸材だ。

 試合は序盤から劣勢を強いられた。先発した2年生左腕の三成翔太が高知中打線に捕まり、2回に2失点。継投に転じた3回以降も2点を追加され、5回を終えた時点で4点のビハインドを背負った。

 敗色濃厚な展開だが、大田二中は諦めなかった。6回に、2死からの4連打など猛攻を見せ、一気に4点差を追いついた。

 その直後の6回はエース左腕の田中康顕が高知中打線をピシャリと抑え、試合は最終回(中学軟式野球は7回制)の攻防へ。7回の表、大田二中の攻撃は無得点。その裏の攻撃で一死満塁と攻め込まれ、最後は中前サヨナラ適時打を浴び、勝負は決した。

監督の後悔
 この試合の采配を回想し、柿田は歯噛みする。

 「イニング制限(中学野球で導入されている大会あたりの投球回制限)の関係で、エースの康顕が決勝で投げられるのは1イニングだけ。彼をどこで投入するかが決勝のポイントでした。同点に追いついた直後の6回に送り出したんですが、今思えば7回からの投入がベストだった。6回に他の投手で勝ち越されたとしても、何とかして7回にもう一度追いつく。7回を康顕で抑えて、延長に持ち込む。延長に入れば、もう1イニング投球回が与えられるので、7、8回の2イニングをエースで勝負する。正直、監督の私の采配ミスで負けたと思っています」

柿田勝洋監督

 周囲からは「後ろに引っ張り過ぎて、...