4歳の時、原爆の悲惨さを目の当たりにした須山羚治さん。8月6日は毎年手を合わせ、戦没者を追悼する=益田市横田町、正法寺
4歳の時、原爆の悲惨さを目の当たりにした須山羚治さん。8月6日は毎年手を合わせ、戦没者を追悼する=益田市横田町、正法寺

 益田市横田町、正法寺の前住職、須山羚治さん(80)はあの日、広島県八本松町(現東広島市)で西の空に、きのこ雲を見た。空襲警報が鳴り、祖母や母と防空壕に避難し、山の上を米軍爆撃機B29が飛び去って数分後だった。
 「あの雲はなんだろう」
 地元の寺の5人きょうだいの末っ子で、当時4歳。戦中の記憶は断片的にしかないが、強烈に脳裏に焼き付いた。
 学校にいた兄や姉は無事だったが、学徒動員で広島市にいた一回り年上の長兄は爆心地近くで被爆した。
 長兄の被爆や、大やけどを負って親戚の家で手当を受け、一命を取り留めたことを知ったのは、ずっと後になってから。数日後、寺に帰ってきた長兄とは話すこともできず、会わせてももらえなかった。戦後も原爆のことを語ることは、ほとんどなかった。
 原爆投下から数日後、被爆者を乗せたトラックが寺の近くの川に落ち、被爆者が寺に運び込まれた。焼けただれた肌の表面には穴があき、ウジがわいていた。母や祖母、近所の女性たちが懸命に手当てをした。
 須山さんは、見たこともないほど悲惨なけが人に、怖くて近づけず、物陰からこっそりと見守った。「目に焼き付き、忘れることはできない」という。
 大学卒業後、教員を経て正法寺を継ぎ、60年近くになる。「戦禍を語り継ぎ、知ることが平和につながる」。今、門徒たちに自身の経験を語りかけることもあり、2019年には、初めて戦没者追悼法要も開いた。
 毎年8月6日には原爆投下の時刻、午前8時15分に合わせて本堂で静かに手を合わせる。「平和な時代でも、自分が生かされていることを自覚し感謝してほしい」と恒久平和を願う。
 (古瀬弘治)