フォトしまね221号
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122021年1月しまねの 日A~Gの写真は、1~7にあるどの日本遺産のことを示しているのかな?!日本遺産の謎を解いてみよう !1ABDEある町では、150年くらい前と変わらない風景を、今でも見ることができます。お祭りのほかに、お店のイベントなどでも上演されるほど人気な舞があります。夕日の聖地といわれている場所があります。奥出雲町の棚田、安来市や出雲市の大きな平野。実はどちらも「あること」が原因で形成されました。32■ 問い合わせ先/文化財課 TEL 0852・22・5880 古代、政治の中心だった奈良の都から見ると、出雲は日の沈む方角に位置します。夕暮れ時、紅に染まる空と弁天島のシルエットが美しい稲佐の浜は、「国譲り神話」の舞台と伝えられています。出雲が古事記などに「黄泉の国」と「地上世界」をつなぐ地と記されているのは、日が沈む聖地の印象が強かったからかもしれません。日が沈む聖地出雲~神が創り出した地の夕日を巡る~ 北前船の船乗りが、出港の前に潮流や方角を確認するために、東西南北と十二支が刻まれた「方角石」を使っていました。日和山に囲まれるようにある入り江は、「外ノ浦」という北前船が風を待つための港で、廻船問屋が立ち並ぶ浜田藩最大の貿易港としてにぎわっていました。荒波を越えた男たちの夢が紡いだ異空間~北前船寄港地・船主集落~ 県の西端に位置する益田市は、日本海を介した盛んな交易と、領主である益田氏による安定した政治によって、中世に大いに栄えていました。発掘調査では、石が敷き詰められた船着き場や、中国、朝鮮半島、東南アジアの交易品が見つかり、国内外に開かれた港湾都市であったことがわかりました。中世日本の傑作益田を味わう~地方の時代に輝き再び~と の うらほう がく いしいなさよ み

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