世事抄録 とりあえず無宗教の遺言

 分家初代のわが家には仏壇も神棚もない。それを知ってかどうか時折、近隣の新興宗教の方などがピンポーンと訪ねてこられるが、やんわりお断りしている。多少は宗教にも関心があるし、ある田舎町に単身赴任していたころは地元の若い者が町外の勤めで出払っているため、葬儀組合を引き受けて仏式、神式、キリスト教までこなした。実はどれにも抵抗感がないから中ぶらりんなのだろう。

 ただし墓地は20年以上前の公募の際、「息子に迷惑をかけたくない」という妻の矢の催促で確保した。家から近く桜がきれいな公園だから毎年家族を花見に誘うが、誰も乗ってこない。久しぶりに先日行ってみて、いつの間にか周囲に林立する立派な墓石群に驚いた。わが家の区画だけぽつんと空白で、目印に置いているブロック片が夏草に埋もれている。やがて“ご先祖様”となる身ゆえに倒錯したのか、ふと寂しい気分になった。

 変なもので自分の無宗教に頓着しないのに家族の信仰は気にかかる。あえて理屈を言えば、理想の彼岸は貧しい現世の裏返し。特に一神教世界は創造・奇跡・規律という神の三要素が争いの芽になりやすい。たぶん「神は死んだ」の哲学者ニーチェが流行した1960年代以降、科学信仰の欧米で無神論者が増大したのは訳がある。よって奇跡も家訓も残せぬ始祖ながら、妻に「その時は献花だけ」と遺言してあるが、さてどうなるか…。

 (松江市・風来)

2019年6月27日 無断転載禁止