緒方貞子さん死去/「命を守る」を原点に

 国連難民高等弁務官として人道支援に尽力した緒方貞子さんが死去した。国際協力機構(JICA)初代理事長も務め、国家の安全保障にとどまらず、人々が暮らす社会を苦境から救う「人間の安全保障」の理念を主唱した。緒方さんが訴えたように、人の命を守ることが国際協力の原点であると肝に銘じたい。

 緒方さんは国際基督教大学准教授から1976年に国連公使に起用され、国連人権委員会の日本政府代表などを経て、91年1月から2000年末まで国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)のトップを務めた。

 就任当時は、冷戦終結によって宗教・民族対立が各地で火を噴き始めていた。一方、冷戦下では本来の任務を封じられがちだった国連機関が、活動を拡大できる状況も生まれていた。現場主義を貫く緒方さんは前例にとらわれない大胆な決断を下し、各国を説得して人道支援を進めた。

 最初に直面した人道危機は、イラクで迫害を受けた少数民族クルド人の国内避難民だった。難民条約の保護対象は国境の外に出た人とされているが、イラク政府の同意を取り付け、イラク領内の国内避難民の救済活動に踏み切る決断をした。

 旧ユーゴスラビアの紛争では、戦火に覆われたサラエボ空港へ人道支援物資を空輸する危険な任務をUNHCRが手掛けた。緒方さんは防弾チョッキを着て現場入りした。交渉力に優れ、同僚に「5フィート(約150センチ)の巨人」と呼ばれたという。

 ルワンダ問題では大虐殺を起こした武装戦闘員も難民キャンプに紛れ込み、援助を受けてしまう結果となったため、UNHCRは「虐殺者側に立つのか」と批判された。

 現場の状況が変わる中で「原則」を守るため従来の枠を超えることも必要というのが緒方さんの立場だ。原則については「最後の点において人の生命を助けるということ。生きていさえすれば、彼ら(難民)には次のチャンスが与えられる」と説明した。

 退任後は有識者による「人間の安全保障委員会」共同議長や、日本のアフガニスタン復興支援政府代表、JICA理事長を務め、日本の援助にも現場主義を徹底させた。

 アフガニスタンのカルザイ前大統領や、フィリピン・ミンダナオ島の紛争で和平を達成したイスラム勢力などから追悼メッセージが多数寄せられたのは、緒方さんの先見性と勇気、行動力に世界が感銘したからだろう。

 難民高等弁務官の経験もあるグテレス国連事務総長は追悼声明で「全世界の人々に模範を示した」と称賛し「原則を守る。思いやりを持つ。効果を上げる」という難民支援の基準を打ち立てたと評価した。「女性への暴力の解決に女性自身が関与する必要に光を当てた先駆者」(グテレス氏)との指摘も重要だ。

 緒方さんが難民支援の現場を初めて訪れたのは1979年。政府調査団の団長としてタイに脱出したカンボジア難民に会ったという。当時に比べ現場で支援を担う日本人ははるかに増えたが、日本の難民問題への貢献は限定的だ。

 世界の難民・避難民は7千万人を超える。遠くの国の人々にもっと「連帯感」を持ち、日本は「人道大国」になるべきだと繰り返した緒方さんの訴えをかみしめたい。

2019年10月31日 無断転載禁止