首里城全焼/沖縄の痛み計り知れない

 沖縄独自の国家、琉球王国の歴史を伝える那覇市の首里城で火災が発生し、「正殿」など主要な建物が全焼した。

 首里城は、15世紀から19世紀まで約450年間沖縄を統治、日本や中国などアジア各国との海洋貿易で栄え、多様性にあふれる文化を築きあげた琉球王国の王城だった。

 太平洋戦争末期の沖縄戦で1945年に全て焼失したが、92年以降、主要な建物が復元された。沖縄の歴史的なシンボルで、県民の心のよりどころともいわれる。象徴が焼け落ちる光景に県民の心の痛みは計り知れない。

 だが沖縄が築いてきた歴史と、それに根付く誇りまでが火災によって失われたわけではない。原因究明を急ぐとともに、防火対策に不備はなかったのか徹底的に検証する必要があろう。その上でシンボルの復元をもう一度、目指してもらいたい。再建に向けて国も支援を検討すべきだ。

 小高い丘の上にある首里城は鮮やかな朱色の正殿などが「御庭(うなー)」と呼ばれる中庭を囲む形で建てられ、修学旅行生ら多くの旅行者が訪れる史跡だった。

 復元された建物自体は対象外だが、首里城跡を含む「琉球王国のグスクおよび関連遺跡群」は2000年に世界文化遺産に登録され、同年の九州・沖縄サミットでは首脳夕食会の会場となった。

 火災は10月31日未明に発生したとみられ、正殿や北殿、南殿などの主要施設が全焼した。正殿は木造だが、スプリンクラーは設置されていなかったという。

 貴重な文化財の火災は国内外でたびたび発生している。今年4月にはパリの世界遺産ノートルダム寺院で火災が起きた。失われるのは後世に伝えるべき貴重な歴史の遺産だ。再発防止の対策を徹底すべきだろう。

 首里城は、日本本土とは異なる歴史から成り立つ沖縄を象徴する存在だった。沖縄本島を割拠した北山、中山、南山を15世紀に統一した琉球王国は、首里に居城を置き、日常の執務も行った。首里城やその周辺では、各国の文化を取り入れた独自の芸能、音楽が演じられ、文化・芸術の中心地でもあった。

 だが沖縄の苦難の歴史を体現する存在でもある。1609年に沖縄に侵攻した薩摩藩は首里城を攻略して支配。1879年に明治政府は軍隊を派遣して「沖縄県」を強制的に設置する「琉球処分」を行い、首里城を奪われた琉球王国に終止符が打たれた。さらに沖縄戦での米軍の激しい攻撃である。大国の間で翻弄されてきた歴史が首里城には刻まれてきたと言えるだろう。

 ただ沖縄が独自の王国であったというアイデンティティーは、今でも根強く生きている。沖縄県と政府の対立が続く米軍基地の移設問題にも、それは表れている。

 昨年、急死した翁長雄志前県知事は、米軍普天間飛行場の名護市辺野古移設への反対で、「イデオロギーよりアイデンティティー」と訴え、保守と革新の壁を乗り越えた「オール沖縄」の枠組みを作り上げた。玉城デニー現知事もその理念を引き継ぎ、政府と対峙する。歴史に裏打ちされたアイデンティティーだ。

 焼け落ちた建物は、もう一度建て直せる。歴史への誇りを胸に、県民の心をあらためて一つにして復元に取り組んでもらいたい。

2019年11月2日 無断転載禁止