出雲市立北陽小5年1組 守り伝えよう 鳶巣の宝

 出雲市稲岡町にある北陽小学校の5年1組29人は、地域の人たちに「鳶ヶ巣山(とびがすさん)・鳶ヶ巣城あとの良さを伝えよう」をテーマに、総合的な学習の時間に新聞作りをしました。この新聞を作るために、実際に鳶ヶ巣山に登ったり、地域の人にお話を聞いたり、新聞社の方に新聞の作り方を教えていただいたりしました。いろいろな方に教えていただいた鳶ヶ巣山、鳶ヶ巣城あとの良さを、この紙面で伝えます。ぜひ見てください。

 (横山雅)

クラス紹介

 私たち5年1組は、勉強も遊びも自分から進んで取り組もうとがんばっています。休み時間などには、男女関係なく遊んでいます。みんな明るく、個性豊かで、笑顔がたくさん出るクラスです。でも、わすれ物が多いので、減らそうと心がけています。

 (高橋優澄、廣瀬筑香、三島綾夏、三島隆成)

毛利、尼子、宍道、3氏が激しい領地争い

 昨年9月、北陽小のランチルームで、5年1組が、鳶ヶ巣山・鳶ヶ巣城のことや歴史について、鳶巣コミュニティセンターの中島薫センター長さん(64)と鳶巣地区の金築功さん(77)に教わった。

 みなさんは毛利氏を知っているだろうか。毛利氏は戦国時代、主に安芸の国(今の広島県)で活やくし、ここ出雲の国でも名を上げていた。特に、毛利元就(1497~1571年)は、大人になると安芸を治め、出雲の尼子氏と周防・長門(今の山口県)の領主・大内氏の二大勢力にはさまれながら、中国地方で激しい領地争いをくり広げていた。

 1510年ごろ(元就が13歳のころ)、出雲では宍道氏によって鳶ヶ巣城が築かれた。宍道、尼子、毛利の武将3氏の関係は、尼子氏と毛利氏が対立する一方、宍道氏は、尼子氏についたり毛利氏についたりしていた。

 1543年ごろ、鳶ヶ巣城は尼子氏に攻められて落城した。しかし、その後、毛利氏が尼子氏を攻めるために鳶ヶ巣城を復活させ、戦いの中心的な役割を果たす城とした。

 1600年、毛利輝元を総大将とする西軍と徳川家康率いる東軍による関ヶ原の戦いがあった。結果は東軍が勝ち、西軍の毛利氏は負けたので、鳶ヶ巣城も廃城となった。

 (有田葵星、石波鈴菜、奥林愛翔、高橋優澄)

鳶ヶ巣山登山道の途中にある絶景スポット。出雲平野や斐伊川が一望できる
鳶ヶ巣山と鳶ヶ巣城あと

 絶景スポット多く自然豊か

 鳶ヶ巣山は出雲市西林木町の鳶巣地区にあり、自然豊かな山だ。動物がたくさん生息していて、植物の種類も豊富で、登山をしたり、景色を楽しんだりできる。頂上からのながめもとてもすばらしく、ぜひ一度登ってみてほしい。

 昨年5月18日、出雲市立北陽小学校の5年生が鳶ヶ巣山に登った。険しい道のりだったが、それでこそ見ることができる絶景があった。しかも、その絶景スポットは一つではない。出雲市全体を見ることができる。

 いっしょに登山をした地元の富田真澄さん(57)は「鳶ヶ巣山の頂上は360度見渡しても景色がいい」と言われた。私たちも実際に見て、すてきな景色だと思った。

 富田さんには鳶ヶ巣山の植物や動物についても教えてもらった。

 植物はヒトリシズカ、フタリシズカ、サクラ、ヤマツツジ、スミレなど、おもしろい名前の花や植物がたくさんある。それらをグループに分けると、「花が美しい」「新緑が美しい」「実を楽しむ」ものになる。

 鳶ヶ巣山にはまた、シカ、タヌキ、ウサギ、アナグマ、キツネ、イタチなど、たくさんの野生動物が生息している。

 しかし、今、ニホンジカによる被害が増えているそうだ。川跡共有山林委員会の濱崎清富さん(71)によると、シカが木の皮をはいでしまう角こすりや、小さな木の芽を食べてしまったり、畑の中の作物を食べてしまったりするなどの被害が出ているそうだ。

 被害を減らすため、シカをつかまえて数を調整したり、畑に電気さくを設けて入れなくしたりするなどの対策が地域の人によって行われている。

 (三島隆成、足立彩恵、岩佐斗真、佐野結菜、田村琉、田中千博)

金築さん(前方)から鳶ヶ巣山、鳶ヶ巣城についての話を聴く児童たち。前方右は中島・鳶巣コミュニティセンター長
人々に役立つ城あと

 運動場造り周りに桜植樹

 鳶ヶ巣城が廃城となった後に、実は運動場が造られていた。鳶巣コミュニティセンターの中島センター長さんと地元の金築さんによると、明治20(1887)年に鳶ヶ巣城あとの平地を切り開いて運動場を造り、周りに桜の木を植えた、という記録が残っているそうだ。

 また、明治27(1894)年に鳶巣村立尋常小学校を卒業した山崎清市さん(故人)が、子どものころをふり返って書いた作文が残っており、それには「鳶ヶ巣山で運動会があったが、自分は体が弱く、先生におぶられて帰ったことを覚えている」とあることから、運動場で運動会が行われていたことが分かる。私たちも登山した時はきつかったが、校庭がなかった時代は、運動をする前に登山をしなければならず、大変だっただろうと思った。

 また、明治20年の記録の他にも、昭和30(1955)年代や同50(1975)年代に、地元の青年協議会の人たちが桜の木を植えた、という記録が残っているそうだ。

 実際に桜を植えた経験のある地元の富田真澄さんは「今も地域の人たちが桜を大切に整備しています」と話され、中島センター長さんは「桜を植えることで城あとをよくしようという思いがあったのではないか」と話された。

 (嘉本ちい、佐藤小太郎、廣瀬筑香、名原涼音)

ながめ良く交通の要地

 攻められにくい険しい山

 鳶ヶ巣山に築城されたのには三つの理由がある。

 一つ目は、交通の便がいいことだ。大社から平田、松江や、雲南を通って広島へ行ったり、石見から山口へ行ったりと、交通の要地だったのだ。

 二つ目は、山が険しいので敵に攻められにくいことだ。ぼくたちも鳶ヶ巣山(標高281メートル)に登ったが、かなり険しいので、山頂に着いた時はもうつかれ切っていた。

 三つ目は、ながめがいいことだ。これは、自分が治めている土地がよく見えたり、攻めてくる敵を発見したり、攻げきの合図やピンチを伝えるのろしが見やすかったのだ。このことは私たちが登山した時にも感じられた。頂上に着いた時の景色のすばらしさは今でもわすれられない。

 これらの理由から鳶ヶ巣城が築かれ、戦国時代に重要な役割を果たしていたのだ。

 金築さんによると、戦国時代の鳶巣は城下町としてにぎわっていたという。昔、刀を作っていた鍛冶屋谷や市場などの名前が、今も地名として残っているそうだ。

 ぜひ、登山をする時には、これらの良さを感じながら登ってみてほしい。

……………………………

のろし 草などの植物に火をつけてけむりを立ち上らせ、合図を送ること。主に攻げきの合図に使われた。

 (加藤寧音、神野泰蔵、田中克毅、知野見結心、原柊哉、藤井優壮、三島大輝、三島隆成、元木瑛太、横山雅)

「こいのぼり遠足」で上げられていた1,2代目のこいのぼり。一番大きいまごいは長さが10メートルもある。現在は3代目が上げられている
地域への愛着育む

 毎年春に「こいのぼり遠足」

 美しい春の鳶ヶ巣山では今も毎年、「こいのぼり遠足」というイベントが行われている。

 「こいのぼり遠足」は、昭和61(1986)年に始まり、昨年で33回目になった。毎回100人くらいが参加し、こいのぼりを山頂で上げ、ご飯を食べたり、宝探しをしたりして楽しんでいる。

 富田さんによると、こいのぼりは全部で三つあり、初代は8メートルのひごい、2代目は10メートルのまごい、3代目は5年前に作った4メートルの黄ごいだそうだ。

 中島センター長さんは「健康・体力づくりとともに、子どもたちが地域にふれ、地域の良さを感じ、地域への愛着を深めることをねらいとしている」と話された。こいのぼり遠足は、毎年行っているすばらしいイベントだ。ぼくたちも参加して、こいのぼりを上げているところを見てみたいと思った。ぜひ、これを読んだみなさんも参加してほしい。

 (嘉本ちい、佐藤小太郎、廣瀬筑香、名原涼音)

富田さん(右)から鳶ヶ巣山の動植物についての話を聴く児童たち
気楽に登れる山に

 ぼくたちは、いっしょに鳶ヶ巣山に登ったり、歴史や自然のことを教えてくださったりした鳶巣コミュニティセンターの中島薫センター長さん、金築功さん、地元の富田真澄さんの3人にインタビューをしました。

  鳶ヶ巣山や鳶ヶ巣城についてどう思っていますか。

 センター長さん 鳶巣の誇りだと思います。

 金築さん 鳶巣の宝物です。

 富田さん とてもいい山だと思っています。

  鳶ヶ巣山や鳶ヶ巣城あとが、これからどうなっていってほしいですか。また、どうしていきたいですか。

 センター長さん、金築さん 多くの人に登ってほしいです。特に子どもたちや若い人たちにこの良さを伝えたいです。

 富田さん 出雲市民や山好きの人などが気楽に登ることができる山にしたいです。

没後350年を記念して鳶ヶ巣山山頂に建立された宍道政慶公の石碑

三代 政道 霊雲寺住職

宍道氏まつる霊雲寺

 出雲市西林木町の霊雲寺(れいうんじ)は鳶ヶ巣山のふもとにあるお寺で、鳶ヶ巣城にゆかりが深い宍道氏がまつられている。同寺の三代政道住職(86)に宍道氏のことをいろいろ教えてもらった。

 鳶ヶ巣城の初代の城主は宍道隆慶で、二代目が政慶である。霊雲寺はふつうのお寺と造りがちがっていて、床にたたみがしいてある。それは、戦国時代であっても、戦いがない期間は宍道氏が鳶ヶ巣城から下りてきて、別そうとして使っていたからだそうだ。観光客の方が鳶ヶ巣山に行く時に道をたずねたり、出雲大社に行く途中に立ち寄ったりするそうだ。

 鳶ヶ巣山の頂上には、昭和の初めに宍道氏に関係のある方たちによって建てられた石碑がある。これは、宍道政慶公が亡くなって350年がたったことを記念したもので、地域の人たちが大きな石を苦労してかついで登った、という話が残っている。

 霊雲寺に行った時、三代住職が笑顔でむかえてくださったのでうれしかった。お寺の中にあるたくさんの仏様についても教えてもらい、とても勉強になった。鳶ヶ巣山登山をする時は、ぜひ霊雲寺にも行ってみてほしい。

三代住職にインタビュー

  鳶ヶ巣山や鳶ヶ巣城についてどう思っていますか。

 三代住職 歴史の上で重みがあると思います。

  鳶ヶ巣山や鳶ヶ巣城あとが、これからどうなっていってほしいですか。

 三代住職 観光地としてみなさんにどんどん来てほしいです。

 (板垣奏吾、曾田海翔、田中創士、間島美月、三加茂愛菜、三島綾夏)

編集後記

 ぼくたちは、今回の新聞作りを通していろいろな人と関わり、多くの貴重な体験をしました。

 一つ目の体験は「登山」です。ぼくにとっては生まれて初めての登山で、とてもつかれました。でも、そのおかげで鳶ヶ巣山のみりょくを発見することができました。

 二つ目の体験は「調べ学習」です。ここでは、必要な情報を本やインターネットで調べたり、地域の方のお話を直接聞いたりしました。最初は知りたい情報をなかなかうまく見つけられませんでしたが、学習するにつれてどんどんうまくなりました。

 三つ目の体験は「地域の方へのインタビュー」です。初めは不安でしたが、みんながやさしく助けてくれたので、うまくコミュニケーションを取ることができました。

 地域のたくさんの方々に協力してもらったおかげで、この紙面ができました。そのことに対する感謝の気持ちをわすれず、鳶ヶ巣山・鳶ヶ巣城あとを地域のシンボルとしてぼくたちが守り、受けついでいきたいです。

 (元木瑛太)

参考資料

 『ふるさと鳶巣物語』鳶巣自治協会(2005年)▽『出雲の山城』高屋茂男 ハーベスト出版(2014年)▽『出雲市文化財ハンドブック』出雲市(2008年)▽『島根県の地名』平凡社(1995年)

2020年1月29日 無断転載禁止

こども新聞