世事抄録 3・11 あの日、その後

 未曽有な出来事に遭遇すると、時に人は自分を失い、群集となって無責任な行動に走ることがある。

 3月11日、つながらぬ携帯電話に誰にも相談できず、東京の三田から自宅まで約80キロを徒歩と自転車で帰った。早々に入場を断ったJR駅。みそ汁を配る居酒屋に車販売店。公衆電話に並ぶ小学生、声を掛ける老婦人。夜中に着いた家で見た、津波に襲われる三陸の町。家を終点とした気持ちが壊れた。やがて伝わる商品の買い占め、被災宅や店での盗難、原発事故と避難者差別など。

 三陸に出掛け、帰宅の道も再度歩いた。地震が起きたらどうするか考えた。自治体やメディアの最悪のシナリオを見ると、あの日の私は助からない。それでも深慮する。3・11が自然の驚異とその対策を教えたならば、3・11以降が教えたのは、共に生き抜く意思の大切さだ。自然を前に無力な個でも、個の中で育つ勇気と希望、共に生きる扶助の心は、人々とつながることで社会を動かす大きな力となる。地元住民による新たな町づくり、外部のボランティア、その連携は新しい共存と共創の考えを創った。

 コロナウイルスでも買い占めが起きた。企業には2対6対2の法則がある。優秀な人を集めても優秀、普通、劣る人に分かれる。そこで普通の人を教育し優秀に近づける。凡人の私は3・11にこだわる。緊急時での自分を失わないために。

(埼玉県在住、島根県奥出雲町出身・鬼灯)

2020年3月12日 無断転載禁止