「もしいつか時間があれば、加納さんのご家族のお話を直接聞いてみたいです」。安来市出身の画家でフィリピンの日本人戦犯の赦免運動に尽力した加納莞蕾(かんらい)(1904~77年)について学んだ、津和野中学校(島根県津和野町町田)の生徒が本紙に投稿したのをきっかけに8日、莞蕾の家族の講話が実現した。莞蕾が生前に残した言葉から平和の尊さを学んだ。
莞蕾の四女で、加納美術館名誉館長の加納佳世子さん(78)が同校を訪れた。3年生が昨年、授業で莞蕾について学習し、13人が本紙のこだま欄に感想を寄せたことを知り、詳しく伝えたいと学校に働きかけた。
3年生25人を前に、佳世子さんは投稿について「一人ひとりの言葉が生きていた。話す機会をもらえたことがすごくうれしい」と感謝。従軍画家として描いた莞蕾の戦争記録画「風陵渡高地占領」を紹介し、生前は「顔も知らない、名前も知らない。しかし殺さなければならない。これが戦争なんだ」と言っていたと振り返った。
フィリピンに収監された日本人戦犯108人の助命を嘆願する文書に「赦(ゆる)しがたきを赦すという奇跡によってのみ人類に恒久の平和をもたらし、目には目をということでは決して達成し得ない」と言葉がつづられているのを踏まえ、「平和へのバトンを皆さんに受け継いでほしい」と語った。
加納さんの家族の話を聞いてみたいと投稿した原田友暉さん(15)は「家族ならではの言葉があり、貴重な機会だった。学んだことを自分もつないでいきたい」と話した。
(藤本ちあき)