津廿線の計画図(左下)について説明する小杉紗友美文化財係長=島根県津和野町森村、町郷土館
津廿線の計画図(左下)について説明する小杉紗友美文化財係長=島根県津和野町森村、町郷土館

          
津廿線の計画図(左下)について説明する小杉紗友美文化財係長=島根県津和野町森村、町郷土館

 広島県廿日市市から島根県吉賀町を経て同県津和野町を結ぶ幻の鉄道・津廿(つはつ)線の計画図が津和野町森村の町郷土館で初公開されている。約100年前の大正期に津和野の財界人を中心に計画されたが立ち消えになり、事業化されなかった。山口線との結節点として、陰陽から津和野に人を呼び込もうとする有力者の熱意がうかがえる。 

 計画図は「廿日市津和野間・津和野須佐間鉄道概略図」。近世から近代にかけ津和野を拠点に鉱山経営で財をなした堀家に伝わる総数約9万点に及ぶ古文書「堀家文書」の中から2022年に見つかった。

 縦40センチ、横55センチの和紙に山陰線と山口線が描かれ、津廿線は朱色の実線で廿日市から吉賀町の六日市、柿木を経て津和野を結ぶ。さらに津和野-須佐(山口県萩市)間も朱色の実線が引かれている。

 廿日市-津和野間は36哩(マイル)とあり、1マイルは1・6キロで57・6キロ、津和野-須佐間は15マイル、24キロとなる。山口線が益田駅まで通っていることから、1923(大正12)年以降に描かれたとみられる。

 

 調査した津和野町教育委員会の小杉紗友美(さゆみ)文化財係長(47)は「津廿線を計画した津和野の有力な財界人たちが堀家に財政面での支援を依頼した際の資料ではないか」と類推する。

 同町の郷土史家・故岩谷建三さんの著書「近代の津和野」(1978年)によると、沿線町長や県議、商工会役員が国会議員らに提出した鉄道敷設陳情書には馬車や人力では輸送に限界があるとして、物流インフラとして鉄道の必要性を訴えているという。

 実際に1927(昭和2)年7月には鉄道省の測量班が津和野、廿日市両端から測量に着手していたという。しかし、ほかの国策が優先される中で、実現には至らなかった。

 小杉係長は「近代の堀家は鉱山業を主な家業としながら、総合病院を設立したほか、津和野経由の鉄道開業を目指す動きにも関心を寄せた」と説明し、「計画図は津和野の有力財界人の熱意と、地域の名望家としての堀家の様子を示す貴重な史料だ」と話す。

 計画図は17日まで展示されている。開館時間は午前8時半~午後5時。毎週火曜日は休館。入館料は一般400円、中高生300円、小学生150円で津和野町民は無料。

(中山竜一)