東京電力福島第1原発事故の発生から1週間になろうとしていた2011年3月16~17日、それまで米政府高官と電話協議を重ねてきた福山は「あるシグナル」を受信するようになった。

 「この頃だった。米国は『日本が自ら事故に対処する覚悟を示してほしい』とのメッセージを発信するようになった。同時に、そんな米側の意図を感じ取る空気が首相官邸内にも流れ始めた」

 長い闘い

 14日夜から15日未明にかけ、官邸内では「東電撤退」が現実味をもって論じられ、同日早朝には一部...