(左から)野村不動産・内田賢吾さん、若林瑠美さんとオリジナル船
(左から)野村不動産・内田賢吾さん、若林瑠美さんとオリジナル船

 少し前、“コミケ会場からの帰路に船を使った”というSNS投稿があり、話題を集めた。これは、移動手段としての“船”が定着していないからこそ生まれた注目だろう。一方、そんな東京でも静かに舟運、水上交通への取り組みが進んでいる。観光ではなく、通勤・通学などに船を日常使いできたら? もっと船を楽しむことができたら? それを模索しているのは、意外にも不動産デベロッパー。土地や建物のプロが進める、水辺や船への新たな挑戦の道筋を聞いた。

【写真】子どもも喜ぶピクニック船って?

■解消されない通勤ラッシュ、便利すぎる鉄道網の一方で水上の活用は…

 世界的に見ても、東京は鉄道網が非常に発達した都市だと言われている。だが、移動が鉄道に集中するからこそ、通勤・通学ラッシュの満員電車はいつまで経っても解消されない。だからといってバスを利用すれば、今度は渋滞にハマって動かない…という、便利なようで不便なスパイラルに陥っているのが東京だ。とくに、23区の中でも人口増加が進む豊洲、有明、お台場などの湾岸エリアでは、それが顕著にみられている。

 ほかに逃げ場は? と考えた時に思い浮かべるのが、街が多く面している河川や海。ところが東京の水上交通は、あまりに地上の利便性を追求してきたせいか、一部の観光航路を除いて実用的であるとは言えない。湾外界隈はコミケなどイベント開催も多いのだが、定期運航されている水上バスは観光客向けで便数が少ないし、ましてや普段の通勤・通学に使おうと考える人はほとんどいないという状況が続いてきた。

 そんな舟運を活性化し、水辺空間の魅力と利便性を向上させるため、東京都は2015年から取り組みに着手。だが、コロナ禍による東京五輪の無観客開催、緊急事態宣言により変更を余儀なくされる結果となった。

 「現在も観光客で賑わっているものの、対象が限定されていて、日常の足としては定着させられていない」と語るのは、野村不動産の芝浦プロジェクト本部 企画部企画課・内田賢吾さんだ。

 同社は、昨年9月にJR浜松町駅から程近い芝浦エリアに大規模複合施設『BLUE FRONT SHIBAURA TOWER S』(以下、ブルーフロント芝浦)を開業。そこに、船による新たな交通手段を作ろうと考えたのだ。目指したのは、目の前が東京港という特性を生かし、ベイエリアと東京都心部の結節点となる『“つなぐ”まち』。一見、画期的で素晴らしい取り組みに見えるが、不動産デベロッパーが「船」? なぜそのような挑戦に至ったのだろうか?

 2019年、建設中のブルーフロント芝浦に近い日の出ふ頭に、舟運ターミナル「Hi-NODE(ハイノード)」を開業。そこの整備を任され、はじめて「船」に関わったと内田さんは言う。前述のとおり、東京五輪での舟運活用は実現しなかったが、街と水辺の繋がりを感じられる立地。ここでまず、新たな可能性を求めたのが“通勤船”だった。

 「アムステルダムやシドニー、ニューヨークでは船での移動が日常に定着しています。当時はコロナ禍で、船は外気に触れるし密にならない乗り物。しかも渋滞に巻き込まれることもないので、日常の移動手段として活性化できたらと考えました」(内田さん)

 こうして2024年には、東京都の舟運活性化助成事業の一つとして、舟運事業者東京湾クルージング社と共に、晴海~芝浦・日の出区間に新たな舟運サービス『BLUE FERRY(ブルーフェリー)』の運航を開始した。一定のシーズンやターゲット、土日などに限定するのではなく、「日常に密着した船」。外気に触れる心地よい乗り物「船」を、通勤ラッシュなどの混雑緩和にもつながる身近な交通手段にできないか。舟運を活性化することで、そうした可能性を探った。

 『BLUE FERRY』は現在、通勤に利用する人もおり、リピーターも増えているという。

 「より朝早い時間帯の便を拡大できれば、もっと利用者が増えると思います。経済合理性としては電車、バスには敵いませんが、船はラッシュがないし、渋滞が無く遅延も少ない。船のデッキでは澄んだ空気をゆったり感じたり、船室ではパソコンで仕事もできます。新しい通勤の交通手段として選択肢の1つになればよいなと考えています」(内田さん)

 だが、同社の挑戦はこれだけではない。通勤船の運航を目指していく中で様々な知見を得て、実際に舟を動かし、舟運業界の人ともコミュニケーションをとった。そこで生まれたのが、「今ある船の体験で足りないものがあるのでは?」という考え。こんな船があったら、東京の水辺に新たな可能性が生まれるのではないか…。そうして、通勤船と同時進行で2021年にスタートしたのが、「船を造る」プロジェクトだった。

 ここで考えたのは、「非日常の場面を作る、特別な船」だ。ブルーフロント芝浦に入っている高級ホテル「フェアモント東京」で味わえるような、ラグジュアリーな体験ができる船。特別な空間で水辺に近づき、その空間自体が動く。東京の水辺に新たな可能性と価値を生み出す、オリジナル船を造ろうと考えた。ただ、既存の船を運航する通勤船とは違い、いちから船を造ることは不動産会社にはなかなかハードルが高い。

 「船を造り運航させるためには、一体どのくらいの期間と費用がかかるのか。こんな船を造りたいという思いはあっても、最初は時間がかかりました」(内田さん)

 内田さんと共にプロジェクトを担当する若手社員・若林瑠美さんも、思いを明かす。彼女はもともと、東京と大阪で住宅営業部門に在籍していた。「住宅を売っていたのに、いきなり『船を作ってもらう』と異動の連絡を受けて。最初はよくわからなかったのですが、困ったというより新しいことに挑戦できるのではないかというワクワクでいっぱいになりました」と若林さんは微笑む。

 新たな東京の水辺に向けて、理想や夢はある。だが、実際に動き出そうとしても、社内で企画を通すことすら簡単ではなかった。「書面やスライドを使って、乗った経験が無いラグジュアリーで特別な船のコンセプトを会議で説明しても、皆さんイメージがわかないようで。『なぜ船を造るんだ?』と言われ、『えっ?』となりました(笑)」と内田さん。そんな行き詰った状況を打破したのが、“体験”だった。

 「不動産事業では新規開発を検討する際、役員は必ず現地へ視察に行きます。同じ観点で、企画製造を依頼しているヤンマーマリンインターナショナルアジアからプレジャーボートを借りて、役員に『船に乗る』という体験をしてもらったのです。すると、船の気持ち良さとともに新たな水辺の可能性を感じてもらえました。そこから大きく流れが変わりました」(内田さん)

 もちろん、社内で企画を通して終わりではない。船の業界には新規参入。いくら船を造ろうと言っても、自分たちだけで船を扱いきることはできない。不動産がやれることは、まずは海のこと、船のことを学び、理解することが大切だと考えた。

 「船は特に安全性が欠かせません。不動産会社が造る船でも、もちろんそれは同じです。そのため、まず、舟運事業に携わるプロの方々に指導を仰ぎました」(内田さん)

 内田さんが小型船舶免許を取得したのも、まずはそこから始めたいという思いがあったから。

 「教えを乞うにしても、相手が何を言っているのかを理解しないと始まりません。運航では何を気にすべきなのか? 安全に走らせることの大変さを自分自身がわかっているかどうかで、プロの意見の理解度や受け止め方が変わってくると思ってのことでした。実際、見ているだけではわからないんです。最初は何からやっていいかわからなかったので、自分でも東京にある多くの桟橋を巡り、大きさを測ったのですが、そこでやっと船長さんが言っていることがわかり始めたくらい。まずは輪郭をとらえ、船長さんたちの価値観を知るためにも、せめて船舶免許を取るくらいはしなければと思ったのです」(内田さん)

 そんな内田さんに習い、若林さんも小型船舶免許を取得。

 「私も、東京の潮位の変動が思いのほか激しいこと、季節によって風の強さや吹き方がまったく異なることも、この事業に関わって初めて知りました。教えていただくことはあるけれど、実感がないと相手と会話もできないですからね。免許をとって、実際に体験して初めて、少しでも業界のことを学ばせていただけるのではないかと考えました。『船舶免許を取って、気合入れてきました!』と報告したのですが、みなさん、とても丁寧に船のことを教えてくださいます」(若林さん)。

■船上ピクニックやバー、こたつまで…企画したイベント船はほぼ全便が完売

 このように、通勤船の運航を開始し、同時にオリジナル船(2026年度ローンチ予定)の建造も進めている同社。船の魅力を広めるべく、2025年からはブルーフロント芝浦開業に合わせて、イベント船も多数展開している。船上の風の心地よさを表現するべく“かざぐるま”で彩った船、ピクニック気分が楽しめる芝生を敷いたピクニック船、バーを設けた船などを運航。クリスマスシーズンには“こたつ船”を運航するなど、工夫を重ねた。その結果、ほぼ全便が完売となり、予想以上の高評価を得たという。

 「定着させるためには、『船って気持ちがいい!』という体験を東京の水辺でしてもらうことが大切。『次も期待しています』という声をたくさんいただき、今は毎月のように企画し、運航している状態です」(若林さん)

 利用者にはファミリー層も多いが、「『船はあまり乗ったことがなかったけれど、子どもは動き回ることなく景色にくぎづけ。自分もリラックスできたので、もっと増やしてほしい』という声をたくさんいただいている」(若林さん)とのこと。

 イベント船を企画する際に大切にしているのは、「船に縛られない発想で考えること」(若林さん)。内田さんも、「既存の事業者の方々が大切にされてきたことを生かしながら、不動産会社との融合でさらに新しい体験価値を提供できないか日々考えています」と語る。

 こうした発想は、オリジナル船にも表れており、「フェアモント東京」のインテリアデザイナーと、船舶デザイナーが協働するなど、今までにない掛け合わせが実現している。このように、異業種同志を“つなぐ”ことも、同社の舟運事業の大きな柱となっている様子。

 「ブルーフロント芝浦が位置する芝浦は港区ですが、海を挟んだ向かいは江東区、隣は中央区です。“境目”を乗り越えるには大変なこともありますが、分断された区と区、業界と業界の間に入って調整するのは、不動産デベロッパーの得意とするところ。浜松町駅は水辺と山手線が最も近い立地なので、羽田空港と豊洲やお台場をつなぎ、イベントとも連携するなど、共創していけたらと思っています」(内田さん)

 今回のプロジェクトを機に、いずれ舟運が日常の足として活性化すれば、東京の人々のライフスタイルは大きく変わる可能性がある。満員電車や道路渋滞に巻き込まれず、快適に移動することができるなら。仕事帰りや週末に、“動く空間”である船を気軽に楽しめたら――。まだまだ道は半ばではあるが、2030年度にはブルーフロント芝浦の2棟目・タワーNが竣工予定。その際には、さらに親水空間も整備されるそうだ。東京の水辺の景色がその頃どう変わっているか、楽しみに待ちたい。

(文:河上いつ子)