体を動かす神経が侵され全身の筋肉が動かなくなる難病ALS(筋萎縮性側索硬化症)を発症した浜田市原井町の松本裕樹さん(58)が、オリジナルCDの制作に励んでいる。仕事や趣味など多くを失ったが、手放さなかったのが大好きなギター。最後の力を振り絞り、音を紡ぐ。
音楽を始めたのは「ませていた」という中学2年の時。洋楽の旋律にあこがれ、新聞配達でためた金でギターを買った。
社会人になってからは益田市を拠点にしたロックバンド「FBI」を率いてNHKの大会に出るなど活躍し、1992年にはアルバムを発売した。その後活動は下火になったが、ギターはいつもにそばにあった。
2017年、40代半ばで移り住んだ新潟県で、手指のしびれに始まり、徐々に歩行の異常が表れた。通院を始めて2年、ALSと診断された。新潟で出会い、親の介護を担っていた妻とは「これ以上の負担はかけられない」と別れを決め、21年5月に帰郷した。
打ちひしがれる松本さんに、「少しでも指が動くなら、もう一度ギターをやってみれば」と提案したのが弟の伊藤淳さん(51)=浜田市新町=だった。
29年ぶりのCD制作を決意すると、インターネットで資金を募るクラウドファンディングに取り組んだ。疎かったSNS(会員制交流サイト)を始め、全国のALS患者や家族とつながり、計168万5千円が集まった。
曲作りは、腕をゆっくりとしか動かせず、ろれつがうまく回らない中、かつてない難題だった。45年間続けたハードロックをやめ、リズムが緩いブルースに初めて挑んだ。
「病気になった苦しみや最期への覚悟を曲に込める」。アルバムに収録する全5曲のデモ音源はすでに出来上がり、現在はベースやドラムを担当する仲間たち総勢10人が各パートの編曲を進めている。
2月末の完成を目指すオリジナルCDは、イベントなどに出演した際に販売し、収益をALSの新薬研究に寄付する計画だ。
病気になって4年が過ぎた。ALS患者は喉の筋肉が弱くなり、自発呼吸ができなくなった時、人工呼吸器の装着の判断を迫られる。松本さんは悩んだ結果、着けないことを決めた。その場合、患者の多くは発病から2~5年ほどで亡くなるという。
「今まで多くの人に迷惑を掛けたが、ALSになった自分でもできることがある。活動や完成した音楽を通じ、感じてもらえるものがあればうれしい」。58年間の人生で、最高に熱い時を過ごしている。
(勝部浩文)













