選挙カー、街頭演説、ポスター、インターネット、SNS…。選挙活動にはさまざまな方法があるが、おそらく前例のない手法で活動を行った候補が、13日に投開票された出雲市議選で現れた。同市大社町から初めて立候補し、初当選を果した糸賀太郎さん(34)。自身が町内で観光客向けに人力車を引いていることを武器に、人力車を選挙カーに見立てて遊説を行った。独特な方法の選挙戦を追った。

「大社の糸賀さんは人力車で遊説するらしい」。3月ごろから至る所でうわさが流れた。「この広い市内を人力車で回れるのか。そもそも人力車での遊説が認められているのか」。疑問を持ち、糸賀さんにアポを取った。
「実は大丈夫なんです」と糸賀さんが見せてくれたのは選挙制度研究会編の「地方選挙の手引き 令和6年」。そこには「自転車(原動機付きのものを含む。)、そり、荷車、リヤカー等の使用については、なんらの制限もなく、自由に使用できる」とある。
しかし、続いて「立て札、看板、ポスター等を取り付けて使用することや、車上の連呼行為はできない」ともある。
糸賀さんが市選挙管理委員会に確認したところ、人力車は問題ないが、前例がなく拡声器や看板を掲げるのは控えるよう伝えられたという。人力車の遊説では特に何も持たず、スーツに法被、地下足袋姿で回るという。糸賀さんは「本当は、名前をアナウンスしてくれる人を人力車に乗せたかったんですけどね」と笑う。

人力車は当たり前だが、排ガスが出ない。SNSには「エコで静かな選挙カー」と投稿した。「新たな切り口でやって注目を集めないと、自分の票につながらないし、投票率を上げるきっかけにもならない」と、若者やこれまでに選挙に行っていなかった層の投票行動につなげる意図もあるという。
午前中は基本的に大社町内を回り、午後は軽トラで人力車を運び、市内各所で引いて遊説する。回ったのは日御碕神社周辺や平田の木綿街道といった観光地、桜の名所に訪れた人たちをターゲットにした。「選挙をしているようには見えないし、抵抗なく話しかけてくれる」。桜をバックに撮影を求められたという。
「選挙カーで広く回るのもいいが、自分は回る範囲は狭くても、一人一人と接して深く訴えたい」。では人力車でどんな遊説を行ったのか。同行した。
◇車のナンバーを記憶
選挙4日目の午前9時半ごろ、「神迎の道」沿いにある事務所から人力車を引っぱり出し、遊説が始まった。大社町杵築地区は普段から走り回っていることもあり、知り合いが多い。すれ違った一人一人に「○○さーん、おはようございます」「選挙出ましたけんね、応援よろしくお願いします」と声をかける。
「頑張ってね」「熱中症に気をつけてね」などと若者からお年寄りまで、たくさんの人からねぎらいの言葉を受けた。中には「本当に人力車で回ってるの?」と目を丸くする人もいた。
近所の人の名前はもちろんだが、車のナンバーも記憶している。これは京都で人力車を引いていたころに「ナンバーを覚えておけ」と教わった。地域の人に走らせてもらっているという意識からだという。出雲でも誰の車なのかを覚えて走っている。だからこそ車とすれ違うときは「あ、○○さんの車だ」と手を振って声をかけた。


大社町内は狭い道が多い。前後から車が来ると、さっと人力車を走らせ待避する。京都時代から含めて13年無事故でやってきた能力が垣間見える。

手を振り返してもらったり、握手した後で、糸賀さんはしきりに「うれしいなあ」とつぶやいた。大勢の人の支えがあって今まで仕事をしてきたと感じる瞬間という。
◇大社を魅力的なまちに
大社町出身で出雲工業高校卒業後、人と関わる仕事がしたいと思い、地元の主要産業の一つである観光業に興味を持った。京都の観光系専門学校に進学し、家の近所を走っていた人力車に引かれ、アルバイトで始めた。反応がダイレクトに返ってくることに「天職だと思った」と専門学校卒業後も続けた。

オーストラリア・パースで1年間、英語を学び、神戸市外国語大の夜間部に進学。卒業と同時に帰郷。雲南市観光協会に勤めた後、同級生の勧めで2022年7月から大社町で人力車を走らせた。
市議選出馬を決意したのは、大社を走る中で地域をより魅力的にしたいと思ったからだ。観光客が増える中で、渋滞がひどくなり、飲食店に行列ができている。事業者としては喜ばしいが、地元住民に負担がかかっている現状がある。「政治に関われば、住民や事業者、お客さんにストレスのないまちづくりができると思った」という。
昨年の元日、訪れていた石川県珠洲市で能登半島地震に被災したのもきっかけの一つだ。知人の経営する宿泊施設を手伝っていた糸賀さんは、外出中に大きな揺れに襲われ、道の駅の駐車場の車内で一夜を明かした。外は氷点下の寒さだった。
「滞在中に毎日走っていた道が倒壊し、本当に怖かった」。何が起きるのか分からないと感じ、やりたいと思ったことはやろうと決めた。
選挙戦最終日の12日は大社町内を人力車で回り、午後7時から事務所であった最終報告会に臨んだ。約30人を前に「大好きなこの町に自分の力を注ぎたいと思って出馬した。そこはぶれずにやり切った」と締めくくった。


2440票を獲得し、39人中10番目で当選した。糸賀さんは「期待を込めていただいた票だと思う。4年後に入れて良かったと思ってもらえるよう頑張る」と意気込んだ。
一夜明けた14日に事務所を訪れたところ「人力車にお客さんを乗せて帰ってきたら、タイヤがパンクしたんです」と明かした。人力車のパンクはほぼないという。「市議になる自分はこれからパンクできない。代わりにパンクしてくれたのかな」とつぶやいた。
(黒沢悠太)