冷戦下の1970年代、ソ連や中国をにらんだ米国の核戦争計画に、在日米軍が組み込まれていたことが機密解除された米公文書で初めて明るみに出た。岩国基地(山口県岩国市)の航空部隊が日本復帰後の沖縄で模擬水素爆弾を使い、核兵器投下訓練を繰り返していた。岩国での核搭載訓練の発覚を恐れ、模擬核爆弾を占領下の沖縄へ移動していたことも判明。訓練中に墜落事故もあった。

 非核三原則を掲げる日本で、米軍は核運用可能な部隊の構築に固執していた。国民にひた隠しにされてきた米国の「核の傘」の実態を追った。(共同通信=新里環)

▽埋もれていた疑惑を掘り起こす

 岩国基地の部隊が核攻撃のための任務を帯び、核兵器そのものが貯蔵されているのではないか―。1970~1980年代、こうした疑惑が浮上し、国会で野党がたびたび政府を追及していた。

 1971年、社会党は在日米軍の電話帳を入手。そこには、岩国基地にあったNBC(核、生物、化学)兵器部隊の名前が記されていた。1981年には共産党が海兵隊の核戦争マニュアルを手に入れ、岩国の海兵航空団第1兵器部隊に核を一時貯蔵する役割があると指摘した。

 政府は一貫して疑惑を否...