運動記事はしばしば「戦い」という言葉を使う。中でも野球は物々しく、試合展開を伝える用語に「生還」「死」「殺」などがあるが、使う側の違和感はほぼない。
「アウト」「ダブルプレー」などの片仮名や長い語句を、一文字でも少なく、読みやすくし、より多く情報を盛り込む。そう解釈して普段は顧みることがない。その中の一つに「送りバント」を縮めた「犠打」がある。自らの「死」と引き換えに、塁上の走者を進める戦術で、文字通りに犠牲となる打撃だ。
明確なルールの枠内で力と技をぶつけ合うスポーツの世界の慣用語。同じ使うのでも社会記事では勇気や覚悟が要る。犠牲はそういう言葉だ。
あらためて辞書を引くと、大切なものをささげる行為のこと。それは「ある目的を達成するため」とある。本人の意思とは別に事件や事故、災害などの巻き添えとなった際も使われるが、悲しみや喪失感だけで終わらせてはいけない。「なぜ」と自問を繰り返し、それぞれの「答え」を出した身近な人たちの取材で教わった。
東日本大震災から間もなく15年。ロシアのウクライナ侵攻は5年目に突入。今またイランで火の手が上がる。「犠牲」という言葉でひとくくりにし、悲しいニュースに慣れてしまいたくない。託された安全や安心、平和の実現。激動の時代、激流のような日々の中、一人では何もできないが、立ち止まって思いをはせたい。(吉)













