安政3(1856)年、石見代官・屋代増之助は、凶作によって疲弊した農村を救済するため「採薬売捌方仕法」を定めている。山野に自生する薬草を採取し、大森町の泉屋弥右衛門を通じて大坂道修町薬種問屋清右衛門(福島屋清右衛門ヵ)に販売して収入とさせる。またその一部を「御採薬仕法金銀」...
世界遺産石見銀山 研究最前線(10) 安政の凶作、竹の開花が影響 野鼠が大繁殖、文献に記載 〈仲野 義文〉
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