復興住宅の被災者におせち料理を届ける黒田裕子さん(右)=神戸市内、2008年(宇都幸子提供)
復興住宅の被災者におせち料理を届ける黒田裕子さん(右)=神戸市内、2008年(宇都幸子提供)

 17日で発生から27年となった阪神大震災では、多くの人が長期間の避難生活を余儀なくされた。震災を通じて、「災害看護」の道を切り開いた出雲市斐川町出身の看護師・故黒田裕子さん(2014年に73歳で死去)の思いを受け継ぐ県内外の関係者は、大きな地震や水害が毎年のように発生する今、被災者のニーズにどう応え、関わっていくべきか模索を続けている。

 黒田さんは、阪神大震災の被災者を支援した「阪神高齢者・障害者支援ネットワーク」の理事長。阪神大震災当時は兵庫県宝塚市立病院の副総婦長をしていたが、被災者支援に専念するため退職し、神戸市内の仮設住宅に常駐しながら、ボランティアを続けた。

 お年寄りの見守りや配食サービスなど、今では定着した活動を率先してきた黒田さん。阪神大震災の1年後から、20年近く行動を共にしたネットワークの元事務局長宇都幸子さん(77)=神戸市東灘区=は、黒田さんが残した言葉で「理論と実践の統合」が最も印象に残っている。

 被災者が何を求めているかを近くで感じ取り、生活相談やグループハウスの設置、ボランティアが常駐しての24時間の見守りなどを形にしていった。

 宇都さんは、黒田さんの活動について、住み慣れた地域でだれもが医療、福祉サービスが受けられるようにする「地域包括ケア」の原型だったと指摘。「1日でも早く、構築することを託されている」と話し、高齢者の孤独化が懸念されるコロナ禍で奮闘する。

 黒田さんの出身地・出雲市では、島根県立大看護栄養学部の渡辺克俊講師(49)が、出雲キャンパスなどの学生58人が所属するサークル「災害研究会」や講義で黒田さんの姿勢を伝える。

 災害派遣医療チーム(DMAT)の一員として、東日本大震災などの現場に赴いた。同じ看護師の黒田さんからは研修などで「生活を想像し、考えることでアプローチの仕方が見えてくる」ことを学んだ。

 島根県西部地震や西日本豪雨の被災地でのボランティア活動では、同行した学生に被災者の服装やゴミ箱の中身にも目を配り、ニーズを読み取ることを意識させた。

 今、サークルで学ぶのは阪神大震災以降に生まれた世代だ。渡辺さんは「いつどのような災害が起きるか分からない。被災者の痛みを知り、寄り添える(黒田さんのような)看護師になってほしい」と願う。