初公開となる、森鴎外が明治時代に寄稿した和気清麻呂に関する随筆の原稿=島根県津和野町町田、森鴎外記念館
初公開となる、森鴎外が明治時代に寄稿した和気清麻呂に関する随筆の原稿=島根県津和野町町田、森鴎外記念館

 島根県津和野町出身の文豪・森鴎外(1862~1922年)の新たに見つかった自筆原稿2点が13日、同町町田の森鴎外記念館で初公開された。奈良-平安時代の貴族・和気清麻呂(わけのきよまろ)の生涯をまとめた随筆で、訂正跡などから、執筆活動の様子を読み取れる。企画展「小倉時代の鴎外」で展示しており、8月29日まで。

 鴎外は1899年6月、軍医部長として北九州市小倉に赴き、東京へ戻る1902年3月までに多くの翻訳や随筆を発表した。今回の原稿は当時、地方紙「門司新報」の依頼で執筆。2020年9月、保管していた同市内の医師の子孫関係者から記念館が寄贈を受けた。

 原稿のうち1902年1月1日付の「和氣■(清の月が円)麻呂と足立山と」は、清麻呂の生涯と、小倉の足立山で泉を掘り当てたという伝説について記す。黒く塗りつぶした訂正跡が何カ所もあり、資料が乏しく、推敲(すいこう)を重ねた様子がうかがえる。

 1年後の03年1月5日付の「再び和氣ノ■(清の月が円)麻呂と足立山との事に就きて」は、家系図などの新たな資料を加え、時系列にまとめてあり、訂正箇所もわずかで見やすい原稿になっている。

 いずれも約10ページ。墨で書かれ、「森林太郎」と本名が記してある。

 記念館の大山優子主任主事(43)は「小倉で暮らした日々が、鴎外の内面の豊かさを育んだ様子を原稿から感じてもらいたい」と話した。(石倉俊直)