伝承に基づき、斎藤実盛をかたどったわら人形とともに田んぼのあぜを進む保存会の人たち=島根県邑南町矢上
伝承に基づき、斎藤実盛をかたどったわら人形とともに田んぼのあぜを進む保存会の人たち=島根県邑南町矢上
唄と踊りを奉納する保存会の人たち=島根県邑南町矢上、諏訪神社
唄と踊りを奉納する保存会の人たち=島根県邑南町矢上、諏訪神社
伝承に基づき、斎藤実盛をかたどったわら人形とともに田んぼのあぜを進む保存会の人たち=島根県邑南町矢上
唄と踊りを奉納する保存会の人たち=島根県邑南町矢上、諏訪神社

 稲穂がつき始め、青々とした田んぼのあぜを浴衣姿の男たちが進む。太鼓や笛を鳴らし、平家武将の斎藤実盛(さねもり)に見立てたわら人形に付き従うように。前日の大雨とは打って変わって青空が広がった20日、島根県邑南町矢上の鹿子原(かねこばら)集落で「虫送り踊り」があった。集落で途切れることなく続く伝統行事だ。

 

 平安末期、北陸の戦で稲の株に馬が足を取られて討ち死にした実盛が、稲を食い荒らす虫に生まれ変わったとの伝承に由来する「虫送り」。実盛の魂を慰めて害虫を送り出し、五穀豊穣(ほうじょう)を祈る行事として全国の農村に伝わる。町内でも中野地区などに残るが、馬に乗った実盛の人形を伴う鹿子原の虫送りは、今では珍しい古い形式とされる。

 少なくとも200年以上の歴史があるという。戦時中も休まなかった。1963年からは集落全戸でつくる保存会が担う。

 日野原利郎会長(70)は「年に1回やらなきゃいかんという意識がみんなにある。虫送り踊りが他のことに対してもみんなで団結しようというきっかけになっている」と力を込める。鹿子原は農事組合法人にも全戸が加入して集落営農に取り組み、全員が力を合わせる必要のある農作業も多い。集落の結束を支えるものの一つが虫送り踊りだと考えている。

 毎年7月20日に営む。今年は男衆18人で臨んだ。7月に入ってから2回の練習で勘を取り戻して迎えた本番。集落で保管する実盛のわら人形を運び出した。花がさに浴衣と赤たすき、わら草履の男たちが氏神の三穂両(みほりょう)神社境内で輪になった。虫送り唄を歌い、笛を吹き、体を左右に揺らしながら太鼓をたたいた。

 新型コロナウイルスの感染拡大がなければ、矢上地区内を練り歩き14カ所で踊るところだが、3年連続の縮小。諏訪神社で踊りを奉納して締めくくった。

 広島市生まれの米田光希さん(38)=自営業=は、祖父母のいる鹿子原に移り住んだ6年前から毎年参加する若手。祭りの雰囲気や複雑な動きのある踊りが好きだ。「そもそも伝統行事がない地域もある。代々受け継がれる行事があるのは素晴らしい。若い人から年配の人まで集まれる機会になっている」と話す。

 59年前の保存会結成時に47戸だった集落は38戸に減り、高齢化が進む。時代の変化も感じながら守り伝える祭りはコロナ禍の今年も無事に終わった。浴衣を汗でぬらした保存会の人たちは「お疲れさん」と互いをねぎらい、満足そうに笑い合った。

 (文と写真・邑南通信部 糸賀淳也、動画・川本支局 佐伯学)

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 山陰地方には、未来へつないでいきたい祭りや行事が数多くある。変わることのない営みの姿、受け継ぐ人々の思いを伝える。

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