「蛟龍」の基地として掘られたとみられる地下壕=福井県おおい町大島(福井新聞社提供)
「蛟龍」の基地として掘られたとみられる地下壕=福井県おおい町大島(福井新聞社提供)

 松江市美保関町七類の九島にあった旧海軍の七類水中特攻基地に関連する基地の遺構が今春、福井県おおい町の大島半島で見つかった。松江の市民グループが昨秋、七類で遺構を確認したことがきっかけとなって福井でも調査が進んだ。第2次世界大戦末期の日本海側の軍事体制は、主戦場だった太平洋側と比べ、あまり解明されておらず、貴重な手掛かりとなりそうだ。 (佐貫公哉)

 七類、福井とも、敵艦への特攻用に開発された特殊潜航艇「蛟龍(こうりゅう)」の基地だったと考えられている。

 福井の遺構は3カ所の地下壕(ごう)で、最も大きい壕は入り口が高さ、幅とも約4メートル、内部は高さ約5メートル、奥行き約10メートルだった。いずれも未完成で、重機を使わず手作業で掘ったとみられる。旧海軍が施設概要などを記した資料「舞鶴海軍施設部引渡目録」で、作業場とされている施設と位置が一致した。

 福井の基地は蛟龍の製造施設や訓練施設など約40カ所もの施設で構成。大戦末期に建設に着手し、終戦で中止したと考えられる。一方、七類のほか、石川県穴水町の麦ケ浦にもあったとされる基地は、ともに通信施設など数カ所の施設しかなく小規模。

 島根県内の戦争遺跡を調べている市民グループ「戦後史会議・松江」の世話人代表・若槻真治さん(64)は、福井が本部で、七類と石川は出撃拠点として一連の計画に基づいて建設されたとみる。

 七類の基地は、郷土誌の「七類年代史」や「七類教育百年史」に建設をうかがわせる記述があり、同グループが通信壕跡とみられる穴や、兵舎跡とみられる石垣を確認した。

 この報道に触れて引渡目録の存在を知った福井新聞社の伊与登志雄特別編集員(60)が、福井の基地に関心を持ち、若槻さんの協力を得て3月に現地調査を行い、遺構を見つけた。

 福井の基地の存在は地元で知られておらず、郷土誌にも記されていなかった。壕の存在は知られていたが、住民は防空壕だと認識していたという。伊与さんは「潜航艇を作ることは一般には隠されていたのではないか」と推測する。

 若槻さんは「今後、日本海側全体の本土決戦用の構えが見えてくるのではないか」と七類を端緒に開けた研究の進展に期待する。