6434人が亡くなった1995年の阪神大震災から17日で28年となる。益田市久城町の無職貴田富雄さん(82)は当時、神戸市東灘区の自宅マンションで被災した。貴田さんはマンション管理組合の役員として地震直後の対応や建物の大規模修繕に当たった経験を踏まえ、住民が直接向き合い、助け合うことの大切さを口にする。 (古瀬弘治)

 「縦揺れか横揺れかも分からない。いつ終わるのかと思うほどの長い揺れだった」―。1月17日午前5時46分、地鳴りとともに起こった激震を貴田さんはこう述懐する。電機メーカーに勤めていた貴田さんは東京出張前の準備をしていた。目の前に大型の棚が倒れ「場所が違えば下敷きになっていたかもしれない」と話す。幸い妻と長女、義母の全員が無事だった。それでも冷蔵庫やベッドがあらぬ方向を向き、ガラスや食器は散乱。電気、水道、ガスも止まった。

 貴田さんは当時、住民約39世帯91人でつくるマンション管理組合の代表で、ほかの役員と住民の安否確認や被害状況の確認に走った。亀裂が入った壁面や、でこぼこになった共同の入口、陥没した貯水タンク。いたるところに地震の爪痕があった。

 エレベーターに男性が...