山陰中央新報社の米子境港政経クラブと島根政経懇話会の定例会が24、25両日、米子、松江両市であった。妙心寺退蔵院(京都市)副住職の松山大耕氏(42)が「コロナ時代を生きる~先人の経験に学ぶ」と題して講演し、他者との比較や二者択一を迫る風潮を批判し「幸せは自分で決めるもの」と説いた。要旨は次の通り。

 社会に漠然とした不安が満ちる時は、人々の関心は将来に行きがちだ。結果として今、成すべきことを見えにくくし、日々をおろそかにしてしまう。

 地震や飢饉(ききん)、疫病に見舞われた鎌倉期の随筆「徒然草」や、江戸期を生きた正受(しょうじゅ)老人の「一日暮らし」などにも同様の記載があり、戒めている。

 霊長類研究の権威で、元京都大学長の山極寿一氏によると、生物の中で人間のみが、あらかじめ死ぬことを知っているという。人生を逆算する中で、不安を抱えるのは人間のさがだ。

 4年前に訪れたブータンでは人々に輪廻(りんね)転生の仏教観が定着し、死に対する不安感がなかった。だからといって世界一幸せな人たちとは思わなかった。

 幸せの定義は人によって異なる。性的少数者や人種など多様性を認め合う「ダイバーシティー」も注目される中、本来は仏教用語で周りに左右されず「自らによる」を指す「自由」の概念を見つめ直したい。

 インターネットの比較サイトは、あらゆるものを同じ評価軸で点数化し、順位付けする。会員制交流サイト(SNS)は、人がうらやむ場面のみ発信する。比較は優越感と劣等感しか生まない。仏教が否定する、人や物事を善しあしの二元的に捉える流れに拍車をかける。

 人工知能の発達で自ら考え、直感を利かせる力は衰え、価値観の画一化が進む恐れがある。先人が伝える、自身の感性に耳を傾けて日々の主体的な選択を促す教えに、現代を幸せに生きるヒントが隠れている。

      (田淵浩平)