浜田市の古墳から発掘された鉄剣、上部にさなぎを複数個確認することができる
浜田市の古墳から発掘された鉄剣、上部にさなぎを複数個確認することができる

 古代の葬式では、死体をすぐに埋葬せず、腐ってハエがたかり、死体や副葬品に卵を産み羽化するまで管理していた-。「もがり」と呼ばれる古代の葬礼文化をテーマにした展示が出雲市大津町の出雲弥生の森博物館で開かれている。出雲地方の古墳から出土した剣にもハエのさなぎなどが付着しており、痕跡があるようだ。初めて知ったもがりについて深く知りたいと思い、博物館を訪ねた。(Sデジ編集部・林李奈)

ギャラリー展「ハエのさなぎから探る古代の葬式」=出雲市大津町、出雲弥生の森博物館

日本の葬式儀礼「もがり」とは?

 企画展「ハエのさなぎから探る古代の葬式」を思いついたのは、同館学芸員の坂本豊治さん(47)。「ハエやさなぎを調査することで、古代日本の葬式の具体的な様子が分かる」と話した。全国的に見ても副葬品に付着したハエのさなぎをメインにした展示は珍しいという。坂本さんにもがりについて詳しく聞いてみた。

もがりの研究調査について話す坂本豊治学芸員=出雲市大津町、出雲弥生の森博物館

 もがりとは、人の死体を埋葬するまでの間、遺体を小屋内に安置し儀礼を行うこと。葬喪儀礼の中の生きている人間が完全に死者となるまでの期間に行われる通過儀礼の一つといわれている。日本書紀の記述では、もがりの期間には近親者が集まり、食物を供えたり、泣き叫んだりしていたとされ弥生時代から遅くとも行われていたと考えられているという。

 古事記や日本書紀にみられる黄泉国訪問神話のなかで、イザナミがイザナキを追うシーンでイザナミの体中にウジがたかっている描写がある。坂本さんは「このウジの描写も古代日本のもがりから着想を得たものではないか」と推測した。

 もがりは漢字で「殯」と書き、この漢字は中国から伝わったとされている。しかし、中国や韓国では副葬品にハエのさなぎが付着しているケースは滅多にない。坂本さんは「日本に特有の葬礼儀式だと考えられるもがりを研究することで、日本独自の死に対する考え方がわかるのではないか」と話した。

もがりの用語について

 では、もがりの由来は何なのか。江戸期の国学者、本居宣長の説では、喪中から上がるから「もがり」、民俗学者の折口信夫氏の説は仮の喪を逆から読んで「もがり」だという説を唱えている。もがりをする場所を喪屋(もや)、対象が天皇や皇族であると殯宮(もがりのみや)と言われている。死体を安置する期間は決められていなく、当時の文献から高貴な人ほど期間は長かったようだ。期間は、8日~数カ月が一般的で、長期化する場合もあったらしい。飛鳥時代の斉明天皇の死後は5年3カ月、天武天皇の死後は2年2カ月もがりが行われていたという記述が日本書紀にある。長期化には、天皇の後続争いも関係していたという説がある。

奈良県で発掘された副葬品、ハエのさなぎが確認できる

身近なもがり

 「古代の特別な儀式と考えてしまいそうだが、現代日本で当たり前に行われている『通夜』ももがりの一部」と坂本さんは言った。通夜は、死んだ人をすぐに埋葬せずに別の場所に安置し、近親者のみだけで行う葬前儀礼だ。皇室ではもがりが由来とみられる儀式が残っており、昭和天皇が崩御された際は、14日間24時間体制で皇族と旧皇族の親族が昭和天皇の遺体に寄り添う儀礼「櫬殿祗候(しんでんしこう)」が行われるなど、昭和天皇が埋葬されるまでに48日間を置いた。

どうして古代日本でもがりが行われていたのか

 なぜ古代の日本人は、一定期間ハエが死体にわいたとしてもかまわず、すぐに埋葬しなかったのか理由は未だ解明されていないようだ。坂本さんは「古代日本では、死者のたたりを恐れ、死者の荒ぶる魂を抑えるために、もがりの期間で完全に死者となったことを確認しよみがえりを防ぐためではないか」と推察した。

 全国の埋葬施設で確認されたハエのさなぎは現在59例あり、そのうち島根県内に5例、鳥取県に1例確認されている。企画展では、出雲市斐川町の古墳「結11号墳」で発掘された剣を展示。ハエのさなぎが付着していることが確認できる。ハエは明るい場所で活動する昆虫で、遺体とともに埋められた埋葬品は別の明るい場所に1週間以上放置されたことが考えられるという。ハエを食べる甲虫類とみられるさなぎが付着している例もあり、長い間死体が放置されていたとみられる。

出雲市の「結び11号墳」で発掘された剣、先の方にさなぎが付着している

 また、浜田市治和の「めんぐろ古墳」から出土した鉄剣の上の部分には、5ミリ程度のまとまったハエのさなぎが付着していることが確認できる。このような副葬品は全国で59例見つかっているが、2022年にも島根県内でハエのさなぎを確認した例もある。「今後も副葬品を調査すればさなぎを見つけることができるかもしれない」と坂本さんは話した。

浜田市の古墳から発掘された鉄剣、上部にさなぎを複数個確認することができる

 展示では、県内外のハエのさなぎが付着した18点の副葬品、全国的なもがりの考古学的調査の成果などを展示している。坂本さんは、「まだもがりやハエのさなぎの研究は途中の段階。昆虫学や海外の古墳も視野に入れながらこれからも引き続き調査を進めていきたい」と話した。最近も佐賀県の吉野ケ里遺跡で、弥生時代後期の有力者の石棺墓が見つかり、話題になるなど古代史にはまだまだ謎が多い。もがりの由来を含め、古代史を解く鍵は「ハエ」にあるのかもしれない。今後も注目していきたい。

出雲弥生の森博物館ギャラリー展「ハエのさなぎから探る古代の葬式」は7月3日まで、入場料無料。午前9時から午後5時まで。毎週火曜日が閉館日。
出雲弥生の森博物館HPはこちら

ギャラリー展が開かれている出雲弥生の森博物館=出雲市大津町