今年のアカデミー賞の2冠に輝いた映画「ファーザー」は、認知症の人の視点から生活を巡る混乱と不安を描く。国は2019年に定めた「認知症施策推進大綱」で、アルツハイマー病などの認知症との「共生」と「予防」を2本柱に掲げる。認知症になっても人として尊厳と希望を持って暮らせる社会をつくる共生が軸足に置かれている。

 米食品医薬品局(FDA)が承認したアルツハイマー病の新たな治療薬「アデュカヌマブ」には、病気になった人の進行を遅らせる「2次予防」に役立つ期待がある。予防というと病気にならないことだけと思いがちだが「認知症になるのを遅らせる」「認知症になっても進行を遅らせる」のも予防の一つだ。

 これまで多くの薬が開発されてきたが、一時的に症状を改善するものしか実用化されていない。アデュカヌマブの臨床試験では認知症の進行を遅らせる効果が示された。

 認知症は、国民の3人に1人近くが65歳以上という高齢化社会では誰でもなりうる病気だ。バランスの良い食事と適度な運動、人と社会とのつながりを保つなどの生活習慣によって認知機能の低下を緩和できることが知られているが、それだけでは多くの人が認知症になるのを防げない。

 まだ発症していないが認知症に向かっていることが分かった人や、既に発症してしまった人を含めて進行を遅らせる薬が長年追い求められてきた。

 少しぐらい認知症の進行を遅らせても状況はあまり変わらないのでは、と考える人もいるかもしれない。

 だが国内の認知症は25年に675万~730万人に達すると推計される。これだけの数になると、進行を1年遅らせるだけで認知症の人は大きく減少する。医療や介護の費用は増え続ける一方。進行を少しでも遅らせる薬は、社会全体に大きな利益をもたらす。

 アデュカヌマブの臨床試験データの評価を巡っては懐疑的な見方も残る。アルツハイマー病の原因物質と考えられるタンパク質を効率的に除去する一方で、脳浮腫や脳出血などの副作用が起きる可能性もある。

 こうした疑問点やリスクを正しく見極めるために米国では市販後も臨床試験が継続されることになっている。今後の動向を冷静に見ていくことが必要だ。

 開発元の製薬大手エーザイと米バイオ医療品大手バイオジェンは、日本でもアデュカヌマブを承認申請した。薬の価格は患者当たり年約610万円との目安が示され、保険適用の範囲によっては国全体の医療費を圧迫する事態も起きかねない。

 保険適用を原因物質がたまりやすい体質の人に限定するのが一つの考え方。しかし効果が期待できるのに薬の恩恵を受けられない人が出る懸念もある。国内審査では難しい判断が求められよう。

 世界ではアデュカヌマブに続き、認知機能が低下し始めた「軽度認知障害(MCI)」の段階で投与して進行を遅らせる新薬の開発が複数進んでいる。今回の承認をきっかけに、より安全で効果が高い薬の開発に弾みがつくのを期待したい。

 いつか「夢の薬」が登場しても、認知症の人が安心して暮らせる社会をつくる重要性は変わらない。予防だけでなく共生に向けた社会全体の認知症への理解を高めるべき時だ。