太平洋戦争後期の1944年8月、沖縄県を出港した疎開船「対馬丸」が鹿児島県沖で米軍に撃沈され、学童ら1500人近くが犠牲になった事件は22日で81年を迎えた。那覇市では慰霊祭が開かれ、生存者と遺族らは「戦争の悲惨さを語り継ぐ」と誓った。汗ばむ暑さの中、犠牲者を悼んで黙とうし、手を合わせて平和を祈った。
慰霊祭は、慰霊碑「小桜(こざくら)の塔」前と、...
太平洋戦争後期の1944年8月、沖縄県を出港した疎開船「対馬丸」が鹿児島県沖で米軍に撃沈され、学童ら1500人近くが犠牲になった事件は22日で81年を迎えた。那覇市では慰霊祭が開かれ、生存者と遺族らは「戦争の悲惨さを語り継ぐ」と誓った。汗ばむ暑さの中、犠牲者を悼んで黙とうし、手を合わせて平和を祈った。
慰霊祭は、慰霊碑「小桜(こざくら)の塔」前と、...