奈良時代から平安時代にかけて朝廷による東北経営の中心だった場所がある。今は宮城県の市名にある多賀城だ。724年に築かれた陸奥国を治める国府、そして蝦夷(えみし)の地を支配する城柵だった。軍事拠点として鎮守府も約80年間置かれた。

 律令(りつりょう)国家の支配の外にいる「まつろわぬ」人々に対し朝廷は、中国では東方の蛮族を意味する「夷」を使って蝦夷と呼んだ。意図的に異民族と位置付けていたと分かる。

 斉明天皇の時代、658年以降には、阿倍比羅夫を日本海沿いに北方へ遠征させた。この後も金や鉄、馬を求めて支配の拡大を図り、帰順する蝦夷は優遇し、抵抗すると戦争に発展する繰り返し...