<我雲州ノ地、曩(さ)キニ一新聞紙アリ>という漢文調の書き出しを読み背筋が伸びた。1882(明治15)年5月1日付、本紙の前身である山陰新聞の創刊号にある「発刊の辞」
NHK連続テレビ小説『ばけばけ』で明治の新聞が重要な役割を果たし、あれこれ調べるうちに出くわした。現代文で続きを紹介する。
<わが山陰は大海を控え背後に険しい山を負い、交通の不便さは全国有数だ。このため人々の考え方も影響され最近に至るまでやや不振のように見える。だが考え方や思想は山や海で遮られるものではない><見ていてほしい。社会の進展は太陽や月がたちまち曇り、たちまち晴れるように、寒暖が突然変わるように予想外の展開を見せるであろうことを…>
船から鉄道の時代となり山陰両県は地の利に恵まれずとも、はね返すんだという強烈な気概が漂う。わが仕事の原点を見る思いだ。現状打破へ山陰新聞がどう報じたかに目を向けると、そこは膨大な活字の海。当分は“探検”するよりない。
無数無名の書き手の存在を感じつつ、島根県津和野町出身の文豪森鴎外の記事に目が留まった。自伝や近況報告、文壇批評などを寄稿し、漢文調でも読みやすい。鴎外は10歳で津和野を離れて一度も帰らず、小説でもほぼ描かなかったが、とうに忘れたかのような故郷と新聞でつながり、最新情報を伝えた。憧れの人と接点ができたようで誇らしい。(板)













