後悔とは、かつてそこに愛があった証拠である-。是枝裕和監督が脚本と演出を手がけた2012年放送の連続ドラマ『ゴーイング マイ ホーム』で北欧のことわざとして紹介された言葉だ。以来、誰かに対してする後悔は何らかの思いがあったからだ、と少し肯定できるようになった。
悲しいという感情も同様。切ないほど愛(いと)おしいからこそ失ったときに「愛(かな)しい」。そんな種類の「かなしみ」があることを、自ら生を終えた人の家族でつくる「しまね分かち合いの会・虹」のメンバーに教わった。
2008年の発会前から取材を重ねた。死に方への偏見から孤立する家族が思いを吐き出す場として開く集いに加え、24時間体制の電話相談や啓発用の冊子発行、パネル展にフォーラムの開催、島根県や松江市など県内各市町の「自死対策協議会」への参画など活動は自助から共助、公助へと拡大した。
原動力を問えば「私たちの“まさか”と苦しみ、つらさを知って思いとどまる人を一人でもつくりたい」との思いだという。一方で、亡き人が生きていた時間が確かにあったことを忘れないでほしいという願いだと気付いた。
先日、久しぶりに代表の桑原正好(しょうこ)さんから連絡をもらい、浜田市内で8日まで開催中のパネル展に出向いた。遺族がつづる後悔や生前の写真など並ぶ60点は苦しい。でも愛され、もがきながらもしっかりと生きた姿が心に刻まれた。(衣)













