自民党は衆院選の顔となる新総裁に岸田文雄氏を選んだ。最多の地方票を得た河野太郎行政改革担当相を引きずり降ろしたのは、派閥優先の論理。岸田政権は多くの党員の意思に反する形で誕生したという重い「十字架」を背負い、政権運営で安倍晋三前首相ら重鎮の意向を無視できない運命にある。派閥支配打破を掲げた河野氏陣営。だが、支持議員が離れていくのに時間はかからなかった。水面下で何が起きていたのか。
「今日から全力で走り始める」。開票結果発表後、岸田氏はこう勝利宣言した。1回目で岸田氏は想定以上の国会議員票を獲得。2位止まりとの下馬評を覆した。
当初、河野氏にリードを許した岸田氏。ポイントとなったのは投開票日直前の28日だった。
「岸田氏で頼む」。二階派幹部は28日、ある同派議員の電話を鳴らした。二階俊博幹事長は役員任期を制限する党改革案を公約の柱とした岸田氏と対立関係にある。犬猿の仲のはずの岸田氏を勝ち馬に認めた―。情報は党内を駆け巡った。
実は、選挙戦終盤の27日、両氏は相対していた。主流派として枢要ポストを確保したい二階氏。「新総裁」に恩を売っておかねばならない。派閥領袖(りょうしゅう)としての思惑がわだかまりを捨てさせた。党幹部は「党員投票の結果は関係なく、決選投票で二階派の大半は岸田氏に入れた」と見立てる。
28日の動きはそれだけではなかった。岸田氏、高市早苗前総務相の陣営幹部が、東京都内の衆院議員宿舎で落ち合った。「どちらが3位でも決選投票に残った候補を応援しよう」。高市氏陣営の古屋圭司元拉致問題担当相と岸田派の根本匠元厚生労働相は「河野氏包囲網」の密約を交わした。
21日には麻生太郎副総理兼財務相が、旧竹下派会長代行の茂木敏充外相と話し込んだ。「岸田氏勝利は確実だ」と認識を擦り合わせ、旧竹下派が同氏支持の方向性を打ち出す素地をつくった。
「河野太郎君255票、岸田文雄君256票」。1回目の投票結果が読み上げられると会場がどよめいた。河野氏の議員票は86票で、陣営予想を25票ほど下回ったからだ。直前の決起集会に出た92人にも届かなかった。
当初は「人気が高い総裁で衆院選を乗り切る」として中堅・若手が押し寄せた河野氏陣営。しかし、選挙戦で提唱した年金制度改革案などは集中砲火を浴び、世論調査の支持率も伸びを欠いた。
岸田氏を推す閣僚経験者は「菅義偉首相の退陣表明で自民の支持率は回復した。衆院選は安定の岸田氏でいいと議員心理は変わった」と読み解く。「国民の審判を待つだけだ」。河野氏は29日朝、記者団に心境を問われ「国民」と4度も口にした。民意はこちらにあると強調した形だが、一部議員は既に岸田氏の元に走っていた。
河野氏陣営は地方の意思とは逆の結果に怒りが収まらない。石破茂元幹事長は「党員と議員の判断のずれは衆院選で問われる」と訴えた。
敗北後、河野氏は自らが所属する麻生派会長の麻生氏と会談。河野氏出馬に消極的だった麻生氏は「議員票が高市氏より少ないことを直視しろ。今のままでは次も無理だ」と伝えた。
総裁選で最も激しく動いた議員の一人は安倍氏だ。出身の最大派閥・細田派や無派閥の議員をオセロゲームのように高市氏支持へ転じさせた。
「決選投票でわれわれの票は岸田氏に乗った」。高市氏陣営幹部は開票結果を満足げに眺めた。安倍氏の影響下にある議員が岸田氏に票を投じたことを意味する。「結局、安倍政権の路線が続くことになる」と河野氏周辺は天を仰いだ。
細田派関係者は誇らしげに語った。「われわれが背後にいてこそ岸田氏は政権運営できる。岸田氏は肝に銘じるべきだ」