【益田】益田市内唯一の手すき和紙工場である「大久保広兼石州和紙資料館」(美都町都茂)でミツマタを原料にした紙すきが始まった。14代目の広兼重継さん(71)と妻の紀子(としこ)さん(70)がはがきや名刺を作っている。12月には半紙作りも始め、作業は年内いっぱいまで続く。
美都の紙すきは江戸時代の1648年、現在の山口県岩国市から初代又兵衛が移住してきたことにさかのぼると伝わる。紙すき技術にたけた又兵衛の和紙は浜田藩主の目に留まり、藩の御用紙すきを命じられ名字帯刀を許されたという。
1897(明治30)年ごろ途絶えたが、伝統を受け継ごうと重継さんが山中に残る広兼家を改修。紀子さんは浜田市三隅町で紙すきを修業し、1993年の資料館開所とともに作業を始めた。はがきや名刺、半紙は資料館から6キロ離れた自宅で販売する。
ミツマタは島根県津和野町から入手し、4~5月に剥いだ皮を天日干しにして乾かす。10月からはソーダ灰を加えた熱湯で皮を煮て細かいごみを除去し、機械で砕いて繊維にする。
紙すきは10日に始め、15日は重継さんがすき舟にミツマタの繊維やのり、水を入れてかき混ぜ、紙すき用具の「簀桁(すげた)」を両手で持って紙の原料を2度すくい、厚みを整えて台に載せた。ジャッキで圧搾し、乾燥させて完成。今年ははがき1200枚、名刺2千枚を作製する予定で、12月20日からはコウゾを原料に半紙を作るという。重継さんは「今後も地元の伝統を守りたい」と話した。
(中山竜一)