店頭から一斉にマスクが消えた、あの騒動は何だったのか。いつでも手頃な価格で買えるかに思われた日用品の供給網に、実はもろさが潜んでいたことが新型コロナウイルス禍で浮き彫りになった。教訓を生かし、再発を防げるのか。官民の対応を検証した。
「マスクの増産をお願いします」。2020年1月27日、政府から業界団体に緊急連絡が入った。中国で猛威を振るう新型コロナウイルス感染が日本にも波及、風雲急を告げていた。28日に正式な増産要請を受け、激動の日々が始まった。
マスク商戦は例年、インフルエンザ予防と花粉症対策の冬から春にかけてヤマ場を迎える。メーカー各社はこれに合わせて一定量の在庫を確保しているが、政府から増産要請を受けたのは需要期の生産対応をほぼ終えたタイミングだった。
コロナ感染が広がるにつれ、マスクを買い求める人が急増し、品薄が社会問題となった。全国のドラッグストアには開店前から列ができ、インターネット上のフリーマーケットでは定価の5~10倍の高値で転売されるケースが相次いだ。
2月13日に安倍晋三首相(当時)が、1月の2倍に当たる月産6億枚超の供給力を確保すると表明。現場は「一団体で引き受ける量を超えている」(全国マスク工業会の横井昭会長)と泥縄式の分量確保に追われた。
▼輸入品8割
日本で販売されるマスクは近年、国産が2割前後で、中国製を中心とした輸入品が約8割を占めていた。中国企業への注文を急に増やそうとしても現地消費が優先され、中国に自前の工場を持つメーカーも日本向けの出荷は困難を極めた。
背景にあったのは、中国政府が3月ごろから本格化させた「マスク外交」だ。各国への影響力を強める手段として、マスクなど医療物資を提供。国内工場に対する管理体制を強化した。
業界筋によると、4月には複数の港で日本向けに出荷するマスクの通関業務が一時停止した。当局がマスク外交に回すための良品確保に走ったしわ寄せとみられている。現地の工場では、突然の立ち入り検査で品質指針の変更を通知されたり、パッケージの入れ替えを迫られたりと、混乱に陥るケースもあった。
▼増設を補助
国内メーカーの多くはコロナ収束後に過剰設備を抱え込むリスクを恐れ「追加投資に二の足を踏んでいた」(関係者)。背中を押したのは、設備の新増設費用の最大4分の3を補助する政府の新たな支援制度だった。
それまでマスクを中国で生産していたアイリスオーヤマは、角田工場(宮城県角田市)の倉庫を改造して6月から国内生産を開始。70台の機械を導入し、投資額は30億円を超えた。大山健太郎会長は「国の要請がなければやっていなかった。(補助金があっても)損すると思ったが、後先を考えず、役に立とうと判断した」と振り返る。
シャープは三重工場(三重県多気町)のクリーンルームを活用してマスク生産に参入。大王製紙も栃木県さくら市で生産に乗り出し、追随する中小企業も相次いだ。
補助金の採択は最終的に43件に上り、国内の生産能力はコロナ禍前の4~5倍に拡大したとも言われる。国産比率は一時45%まで上昇した。
▼たたき売り
にわかに膨らんだ国内生産は、縮小するのも早かった。政府は4月から、後に「アベノマスク」と批判された布マスクを各世帯に配布。中国製の輸入も回復して品薄が解消に向かうと、輸入業者は在庫をたたき売った。国内メーカーは一転して減産や撤退に追い込まれた。
マスク工業会によると、翌21年の1~3月時点で、生産、販売、輸入などマスクに関わる企業は約1500社、コロナ禍前の10倍に達した。市場は飽和状態だった。
日本総研の三浦有史上席主任研究員は「マスクは昨年の混乱時に『公共財』となったが、安価な『消費財』に戻った」と指摘。政府が引き続き国内生産を財政支援するのは無理があると語る。
マスクの国産比率は現在25%程度に戻った。中国からの輸入に依存する構図は、危機を経ても大きくは変わらない。
国のずさんな対応を象徴するように、政府が調達した布マスクのうち8千万枚以上が今年3月時点で使われず倉庫に眠り、保管費がかさんでいることが会計検査院の調査で明らかになった。