広島市に残る被爆建物「旧陸軍被服支廠」。四つの建物がL字形に並ぶ=広島市南区
広島市に残る被爆建物「旧陸軍被服支廠」。四つの建物がL字形に並ぶ=広島市南区

 広島県や市民団体が、戦前戦中に軍服の製造・保管施設だった被爆建物で、重要文化財指定を目指す「旧陸軍被服支廠(ししょう)」(広島市南区)に関する資料や証言を募っている。被服支廠は山陰両県も管轄エリアで、資料が残っている可能性が高いといい、協力を呼び掛ける。 (新藤正春)

 被服支廠は原爆の爆心地から約2・7キロの住宅街に建物4棟が残る。いずれも大正期に建てられた鉄筋コンクリート造りとレンガ造りが複合する3階建て(延べ床面積計約2万1700平方メートル)。

 山陰にも関わりがある。出雲高校の学校史には前身の今市高等女学校が戦中の1944年7月以降、被服支廠の軍属となり、家庭から学校にミシン200台を持ち込み、生徒がシャツなどの軍服を1日当たり約4千点製造していたとの記述が残る。終戦時の被服支廠長が残した手記によると、被服支廠の毛皮なめし工場が戦中、島根県津和野町に疎開していたという。

 原爆投下時に倒壊を免れ被爆者の臨時救護所として使われた。戦後は高校の校舎や広島大の学生寮などに使われ、1990年代半ば以降は放置されてきた。

 再び光が当たったのは、耐震性不足のため広島県が2019年12月、保有する3棟のうち1棟を保存し、2棟を解体する方針を示したことが発端。保存を求める議論が巻き起こって県は方針を見直し、3棟の耐震工事を23年度に始めると表明。1棟を保有する国も強度調査を行った。

 被爆者らでつくる市民団体「旧被服支廠の保全を願う懇談会」の菊楽忍幹事(広島平和記念資料館職員)によると、被服支廠の戦前の姿や役割の実態は資料が少なく、不明な点が多い。

 菊楽幹事は「被服支廠のことが少しでも分かるとありがたい。原爆で壊滅的な被害を受けた広島市内に比べ戦災の少ない山陰には資料が残っている可能性がある」と指摘。資料や写真、証言などを求めている。

 被服支廠の重要文化財指定へ向け、調査を進める広島県も写真や絵はがき、書籍、雑誌、公文書、契約資料など未発見資料が市中に残っていると期待し、募集している。3月31日まで。

 問い合わせは懇談会が電話090(6408)1528、広島県が電話082(513)2346。