川上譲治さんが見つけた国鉄浜田駅での帰還歓迎大会で、自身の姿を指さす前田誠治さん
川上譲治さんが見つけた国鉄浜田駅での帰還歓迎大会で、自身の姿を指さす前田誠治さん

 戦後、韓国が日本漁船を拿捕(だほ)する根拠にした1952年の「李承晩ライン」の宣言から18日で70年となるのを前に、拿捕の資料や帰還船員の写真などを編集したパネル展が16日、浜田市熱田町の長浜まちづくりセンターであった。抑留された元乗組員も会場を訪れて証言した。

 同市長浜町のカメラマン川上譲治さん(71)らでつくる実行委員会が主催した。川上さんによると李ラインにより、旧浜田市内では、浜田漁港と長浜漁港所属の漁船7船団8隻が拿捕され、93人の乗組員が抑留された。

 58年に浜田駅前で開かれた「帰還船員歓迎大会」の写真や当時の新聞記事など20枚のパネルを展示。54年11月に拿捕され、帰還船員歓迎大会の写真にも写っている第2大和丸の元乗組員前田誠治さん(86)=浜田市浅井町=が抑留の様子を語った。

 当時19歳で船の甲板員だった前田さんは、対馬沖の公海上で韓国警備艇の銃撃を受け、僚船の第1大和丸とともに拿捕された。

 連行先の釜山で収容所に入れられ、凍えるような寒さや、麦入りの茶色いご飯と、もやしのみそ汁という粗末な食事で、栄養失調に陥ったという。仲間と脱出を試み、釜山港から韓国船に乗り込んだがエンジンがかからず失敗したこともあった。

 未成年者は早期に帰国が許されたが、抑留中に20歳になった前田さんは許されなかった。「あれが一番悔しかった」と3年3カ月の抑留体験を振り返った。

 川上さんは「翻弄(ほんろう)された時代を知ってほしいと思って13年かけて一生懸命集めた資料を見てもらい、うれしい」と話した。

       (鎌田剛)