1991年8月19日、朝。ロシア科学アカデミー東洋学研究所日本部長(当時)のコンスタンチン・サルキソフ(79)はモスクワ郊外の自宅でテレビをつけ、不安を感じた。定時のニュースは始まらず、国営放送はただバレエ「白鳥の湖」の映像を流していた。

 ▽東西冷戦終結

 異変が起きている。街の様子を見ようと、普段使っている地下鉄ではなく、トロリーバスを乗...