大相撲の関脇御嶽海(29)=本名大道久司、出羽海部屋=の大関昇進が決まり、同じ長野県出身で、江戸後期に松江藩のお抱えだった強豪力士・雷電(らいでん)為右衛門(ためえもん)(1767~1825年)が改めて光を浴びる。松江市の関係者は、雷電を抱えた藩主・松平治郷(はるさと)(号・不昧(ふまい))や松江の力士にも目を向けてもらうきっかけになるよう期待しながら、御嶽海の大関昇進を喜んだ。(佐貫公哉)
江戸時代に相撲は、庶民から武士までを熱狂させた代表的なスポーツ。松江藩主の松平家は代々、藩の威信をかけ優秀な力士を武士として抱えた。治郷も相撲を好み、雷電を若くから取り立て、引退以降も指導役として抱え続けた。
松江歴史館(松江市殿町)は、松江市の白潟で催された取組に大関時代の雷電が出場した時の番付表など、松江藩のお抱え力士に関わる品を所蔵する。新庄正典主任学芸員は「長野生まれだが、松江の雷電と言える存在だ。御嶽海の大関昇進を機に、松江が輩出した多くの力士に注目が集まるとうれしい」と願った。
松平家の菩提(ぼだい)寺、月照寺(松江市外中原町)にもゆかりの品が伝わる。宝物館には雷電の手形が押された掛け軸があり、当時の代表的な文人・大田南畝(なんぽ)の「賛」(評価の言葉)も添えられる。山門入り口には雷電の手形が彫られた石碑もある。
高梨博昭住職(51)は「御嶽海のおかげで不昧公と関わりの深い雷電の名が広く知られるのは喜ばしい。ご縁として新型コロナウイルスが落ち着いたころにお参りに来てもらえるといい」と期待した。
日本相撲協会の資料によると、御嶽海は、長野県出身では1795年、天下無双とされた雷電以来227年ぶりの新大関。
雷電は現在の同県東御市に生まれ、幼少時代から怪力だったという。体格は197センチ、170キロと当時では破格の巨体。254勝10敗、勝率は驚異の9割6分2厘を誇った。この時代は横綱が地位としては明文化されておらず、最強を示すのが大関だった。御嶽海は「偉大な先輩の後ということで、ある意味プレッシャーかな」と苦笑いだ。
無類の強さのため、張り手、相手の両腕を抱えてきめる「かんぬき」が禁じられたという。対戦相手の負傷の危険性や、実力差の開きで勝負が味気なくなるなど理由は諸説ある。相撲博物館の中村史彦学芸員(50)は「今でも強さが広く語り継がれるのは雷電くらいではないか」と話した。
<雷電アラカルト>
▽出身地 現在の長野県東御市で1767年1月に生まれる
▽初土俵 1790年11月。松江藩のお抱え力士
▽師匠 浦風林右衛門
▽幕内在位 36場所
▽成績 254勝10敗。勝率は9割6分2厘
▽得意手 突っ張り、寄り切り。あまりの強さのために張り手などが禁じられたという
▽体格 197センチ、170キロ
▽手のサイズ 縦28センチ、横10センチ
▽最終場所 1811年2月
▽没年月日 1825年2月11日、59歳
▽血液型 B型