プロ野球中日などで通算107勝を挙げ、引退後は衆院議員も務めた三沢淳さんが3日、死去した。69歳。島根県浜田市出身で、投手として江津工業高校を甲子園に導いた。同球団が6日に発表した。
【当時の紙面で振り返る】三沢淳さんの高校時代の活躍、甲子園で完封勝利
三沢さんの訃報を受け、かつてともにプレーした球友は、名投手の死を悼んだ。
江津工の1学年後輩で、中堅手だった今田三之さん(68)=江津市=は1970年夏、一緒に甲子園の土を踏んだ。2回戦、今田さんの前に落ちたポテンヒットが失点につながり、予選から続いた無失点記録は止まった。
ナインが悔しさを募らせる中、マウンドで表情や態度を変えることなく完投した背中が今でも脳裏に浮かぶ。練習でも黙々と砂浜を走った姿を振り返り「真面目に取り組む優しい先輩だった」と人柄をしのんだ。
日本ハムなど3球団で監督を務めた梨田昌孝さん(68)=浜田市出身=は浜田一中の1学年後輩に当たる。三沢さんが中日に入団し「巨人キラー」として活躍する姿が「すごくうらやましかった」と述懐。「捕手としてその球を一度でも受けてみたかった」と惜しんだ。
江津工野球部のOB会長を務める野原光広さん(70)=江津市=は1学年先輩。三塁手から投手、さらに下手投げへと成長を遂げ、エースとなった三沢さんの勇姿を思い返し「江津工に大きな歴史を刻んでくれた。もう一度、酒を酌み交わして当時の話をしたかった」と残念がった。