国営諫早湾干拓事業(長崎県)の潮受け堤防が1997年4月に閉め切られて25年が経過した。この四半世紀、堤防排水門の開閉を巡り、地元漁業者と干拓地営農者は分断、翻弄(ほんろう)されてきた。
潮流の変化などで漁業被害が生じたとして漁業者は開門を求め、営農者は海水で塩害が起きると反対した。双方からいくつも裁判が提起され「開門」「非開門」と正反対の司法判断が確定する異常事態に陥っている。
福岡高裁はこの3月、唯一残る「開門」の確定判決を無効化する判断を示し、漁業者側が上告した。別の訴訟で既に開門を否定する判決が最高裁で確定しており、司法判断は「非開門」に統一される可能性があるが、ここまでこじれた問題は司法だけでは解決しない。
訴訟対応に加え、そもそもの事業の必要性判断、漁業者と営農者の利害調整などが不十分だったと言わざるを得ない。その責任は全て国にある。漁業者、営農者はともに被害者だ。国は司法の最終判断を待つことなく両者との協議を進め、未来志向の和解を目指すべきだ。
諫早湾干拓事業は1986年に国が事業計画を決定、2008年に完了した。総事業費約2530億円。諫早湾の湾奥部を堤防で閉め切り、約670ヘクタールの農地を整備した。その一方で、「宝の海」と呼ばれた有明海に変化が生じ、赤潮発生や不漁に陥るなどした。
事業の構想が浮上したのは70年前、戦後間もないころだ。米の増産による食糧難解決が目的だった。その後、米の生産過剰に伴う減反など社会情勢は変化したが、国は高潮対策などに目的を転換、事業を推し進めた。結局、干拓農地では野菜や花などが栽培されている。
国は途中で事業の必要性などを厳しく再検討すべきではなかったのか。「後戻り」を含む冷静な見直しを怠ったとの批判は免れまい。
司法のねじれが始まったのは10年のことだ。福岡高裁が漁業者の訴えを認め、国に開門を命じたが、当時の民主党政権は上告せず、確定させた。ところが判決には従わず開門しなかった。営農者は逆に開門禁止を求める訴えを起こし、こちらを認める司法判断も確定した。本音では開門したくない国が、十分な反論をしなかったからだ。自らねじれを招き、矛盾する命令が並立した。
3月の福岡高裁判決は、10年に確定した開門命令を無効化するものだ。「漁業者への影響は依然として深刻」なのに「漁獲量は増加傾向」とし、「堤防の防災機能の必要性は増大」「開門すれば塩害などで営農困難」などと指摘した。
「事業の結果を前提に社会状況が構築されている」とも述べており、巨大公共事業がつくりだした現状の変更による混乱を恐れ、追認したものと言わざるを得ない。司法の限界だろう。
一方で国、漁業者らに異例の付言をした。「問題は今回の判断で解決するものではない。有明海の再生に向けて、施策の検討と協議を継続、加速する必要がある」
高裁は昨年末の結審当日まで和解による解決の可能性を探ったが、国は「開門の余地を残した協議の席には着けない」とかたくなに拒否した。この姿勢は非難に値する。国はここに至る責任を自覚し、協議を主導すべきだ。判決の真意は付言に凝縮されている。