保管されていた撫順炭鉱の石炭標本=大田市大森町、大森小学校
保管されていた撫順炭鉱の石炭標本=大田市大森町、大森小学校

 中国北東部にある東アジア最大級の撫順(ぶじゅん)炭鉱の石炭と関連製品で構成する標本が、大田市大森町の大森小学校に保管されていたことが、石見銀山研究会の中村唯史さん(54)の調査で分かった。旧満州時代に日本が経営した時の標本で日本の中国大陸進出と重化学工業の発展、中国の産業史につながる貴重な資料とみられる。

 石見銀山遺跡の世界遺産登録15年を記念し石見銀山世界遺産センター(大田市大森町)で2日から8月29日まで無料で公開される。

 中村さんによると、撫順炭鉱は日露戦争を機に1905年、採掘権が日本に移った。07年に南満州鉄道株式会社が経営を始め、45年の終戦まで続けられた。日本の中国大陸進出の拠点となり、戦後は中国の重工業の基盤となった。

 標本は縦38センチ、横28センチの木製の箱に、石炭、岩石、関連製品の25点が収納され、大森小の理科室で保管されていた。経緯に関する記録はないが、時代背景などを踏まえると、100年前の20年代~45年の間に収集されたとみられる。

 石炭や化学製品が入った瓶にはそれぞれにラベルが貼られ、主力の「老虎台坑炭」「東郷坑炭」と坑道名を示す記載があったほか、撫順炭鉱で最も大規模にされていた採掘方法の露天掘りを示す「露天掘炭」も記されていた。
 満州での重化学工業は中国の発展の基礎になったが、研究は進んでいないという。鉱山に詳しい井沢英二九州大名誉教授(84)=資源工学=は「現物が残っていること自体が珍しく、貴重だ」と話した。

 中村さんはロシアのウクライナ侵攻が世界のエネルギー事情を揺さぶる状況を踏まえ「燃料難に苦しんだ日本の資源を巡る歴史を振り返る意味でも大事な資料」と指摘。標本が伝わった経緯にも注目し「鉱山の町にある大森小だからこそ、きちんと保管されてきた」と世界遺産の町で見つかった意義を説明した。
      (曽田元気)