8月11日付本紙のラッピング広告(表面)
8月11日付本紙のラッピング広告(表面)
8月11日付本紙のラッピング広告(裏面)
8月11日付本紙のラッピング広告(裏面)
8月11日付本紙のラッピング広告(表面)
8月11日付本紙のラッピング広告(裏面)

 進学や就職などで県外に出た後、地元に戻ってくる「Uターン」。島根県が11日付山陰中央新報に掲載したラッピング広告で、県内19市町村のUターン者が帰郷の理由と本音を明らかにしました。このうち3人に、さらに詳しく話を聞くと、古里への思いや親への感謝、地元でのおだやかな暮らしに対する思いを聞くことができました。
 

ラッピング広告の表面

ラッピング広告の裏面

 

「しんどくなったらいつでも帰ってきていいからね」

 県都・松江市にUターンした安部真菜さん(36)は両親の言葉がきっかけになりました。

子どもたちと団らんする安部真菜さん(右)

 松江市内の高校を卒業して東京都内の大学に進み、アパレル企業に就職しました。渋谷や池袋のショップで働き、都会での華やかな生活。Uターンは全く考えていませんでした。しかし、風向きが変わったのは働き始めて1年半後。長いときは午前8時ごろから午後11時ごろまで勤務する上、土曜日や日曜日も働く不規則な生活に、「疲れてしまいました」といいます。

 そのときに思い出したのが、大学進学と就職の節目に両親から掛けられた「しんどくなったらいつでも帰ってきていいからね」という言葉でした。半年ほど一人で悩んだ末、「長い目で見れば松江で暮らしたほうがいい」との結論に至り、2011年6月、松江市内にUターンしました。

 地元の薬局に就職すると帰宅時間が早くなり、「精神的な余裕ができました」と話します。家族や友人と会う機会が増え、リフレッシュすることもできるようになりました。松江城や出雲大社にすぐ行けるのも「プチ旅行気分を味わえます」とお気に入り。14年には結婚し、今では小学1年生の長男(7)と長女(2)の母として奮闘しています。子育ての面では、両親の協力が得られるのが利点といいます。子どもの幼稚園や進学先も「友人に相談しながらじっくり考えることができるのがうれしいですね」という安部さん。Uターンして得た暮らしに満足しています。


「戻ってきてくれたらうれしい」

 島根県の離島・隠岐の島町にUターンしたのは長澤早紀さん(29)です。「戻ってきてくれたらうれしい」。その言葉がずっと胸に引っかかっていました。
 

島暮らしを満喫する長澤早紀さん

 山口県内の大学に進んだのを機に島を離れました。大学卒業後は岡山県内の社会福祉法人に就職。島に戻るという選択肢が頭をよぎり、帰省をするたびに両親から「帰ってきたらどう?」と水を向けられつつ、最後は「早紀の意思を尊重するよ」と言われると、踏ん切りがつきませんでした。

 契機になったのは2021年に2年間務めた病院を退職したことでした。今後のライフデザインを考えたとき、家族と過ごす時間を大切にしたいとUターンを決めました。

10年ぶりとなる実家での家族との暮らし。隠岐の島町役場に就職し、仕事にも慣れてきたと言います。規則正しい生活に「体がととのってきました」と笑顔で話し、「何か趣味の時間をとりたいと思うようになりました」と言います。都会と比べると不便なことはあるもののどうしても困るということはなく、「適度に便利で適度に不便。住むのにちょうどいいところ」と感じています。豊かな自然とおいしい海産物が身近にあるのが魅力で、家族の知り合いがおすそ分けしてくれる魚のおいしさを実感し、「ぜいたくできる場所です」と島暮らしを表現します。


「自分の好きなことをやりなさい」

 「自分の好きなことをやりなさい」。山﨑康平さん(32)の両親は、こう言い続けていました。山崎さんは「関西の文化に触れたい」と京都市内の大学に進み、学生のころから老舗ホテルでアルバイトをはじめ、卒業後は正社員になってバーテンダー・ソムリエとして働いていました。

趣味の読書を楽しむ山﨑康平さん

 転機になったのは師匠だった人の死でした。「自分のやりたいことをやりなさい」。師匠に言われた言葉を反芻(はんすう)するうち、古里に帰って親が経営している教育機器の総合商社を継ぐことが「自分にしかできないこと」だと思うようになったといいます。2017年、Uターンしました。

 好きなことをするように言い続けた両親はびっくりした様子でしたが、受け入れてくれました。康平さんはまず、営業活動が希薄な地域で営業を始めました。「まずは顔を覚えてもらうところからスタートしました」と振り返ります。その後、営業所がある大田市内をエリアに、営業を展開しています。

 情報通信技術(ICT)やデジタルコンテンツを活用できる環境になれば、例えば田舎の子どもたちと都会の教室をオンラインでつないで授業を受けることができるようになったり、先生の労力軽減につながったり、可能性は広がると感じています。今は、取締役人事部として、「できないことをできるようにする」のをモットーに、忙しい毎日を過ごしています。

 「田舎には働くところがないというけれど、都会に比べて1人の存在価値が高いですね」と話す山崎さんは、培ってきた教育機器の知識とデジタルコンテンツを武器に、「教育の最先端を引っ張りたい」と前を向きます。

 島根県内19市町村にUターンした19人のリアルと本音が載っているHPはこちらから